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「578」25歳だった

いつも聞いてる東京ポッド許可局というラジオ番組で、「25歳だった」というコーナーがある。

人生の中で結構転換期を迎えるとされる25歳のころ、自分はをしていたのかを視聴者から募集するコーナーで、いろんな25歳の思い出を聞く。それに便乗して、ぼくも25歳だった頃のことを書いてみよう。

25歳の時は、東京の中延という街に住んでいた。五反田から都営浅草線で2〜3駅の場所で、戸越とか戸越公園とか戸越銀座とかの近くだった。部屋は3人でシェアしていたちょっと広めの2LDKだった。

シェアしてた頃の楽しい思い出はおいといて、24くらいの頃からぼくは体にちょっとした違和感が出始めていた。後にそれは難病指定されている重症筋無力症ということが判明したんだけど、当時そんなことは全く分からず、ただの怠け症というか、筋力不足なだけだと思っていた。一緒に住んでた2人も、それ以外の友達からは笑われるだけだった。自分でも情けないなーと思っていたんだけど、ただの運動不足だとやり過ごしていた。

しかし、疲労と共に体に力を入れることができないという日が続き、ついには荷物を持ちながら住んでたマンションの階段すら上がることが出来ない日もあった。それから別の日、住んでた3人で河川敷にゴルフに出掛けた時、川を渡るボートがあって、それに自分1人の力で乗ることが出来なかったり、河川敷の斜面を上がれなかったりと、あまりにもおかしいということで一緒に住んでた2人が絶対病院に行った方がいいということでそのまま病院に行った。

「もしかしたら重症筋無力症という病気かもしれない。」とその病院から告げられた。それすらもなんだかよくわからずだったけど、重たい病気ということにとても不安になり、でも反面、病気かもしれないと言われたことで、これまでの自分が別に怠けていたわけじゃなかったのかと、正直気持ちがホッとした部分もあった。

その場ですぐに実家の母親に電話して、それまでの状況や病院で言われたことなどを全て話した。

それから母親は重症筋無力症の受け入れをしている病院を探してくれて、数日後、名古屋の大学病院で検査。結果はいうまでもなく陽性だった。それは確かもうすぐ26歳になる、寒い12月だった。

年が明けて1月に26歳になり、ちょうどその頃病院から手術の話を受けた。 100%完治することはない。確率的には五分五分。手術をしても症状は変わらない場合もある。そう言われた時の恐怖は、なんと言っていいか言葉に出来ないけど、とにかく治らないかもしれないという恐怖。一生この病気が続くのかという恐怖があった。

そんな時に強い言葉をかけてくれたのが母親だった。 たとえ完治しんくても、まさきの人生はまだ長いんやしやれるだけのことはやってみた方がいい。それに手術って聞くと怖いけど、実際麻酔打ったら一瞬で寝て、ふと目を明けたらもう終わっとるし、なんでもないよ。怖いのは始めだけ。

母親は子宮頸癌を患っていて手術や入退院を繰り返していた。癌の影響で人工的な膀胱を管で通し、尿を溜める袋が体の外にあるような状態で、片方の足なんかその影響でパンパンに腫れ上がっているような、今のぼくからしたら、その方がどんだけ大変で、どんだけ辛いかというくらいの状態だった。そんな母親だから知る手術の恐怖を、少し打ち消してくれた。その言葉を聞いて、ぼくは手術を決めた。そして東京にまた戻った。

それから約2ヶ月後、母親は容体が急に悪くなり、病院で息を引き取った。 朝一番に父親からすぐに帰ってこいと連絡があったけど、ぼくは話を聞いて動揺してしまい、出発するのに時間がかかってしまった。 病院についたのは確か12時半頃で、ついた時には家族みんなが集まり、もう死んだあとだった。

こういう経緯もあり、その後すぐにぼくは東京から地元に帰った。 それから9時間に渡る手術を受け、現在はかなり体の調子がいいところまで回復してきている。母親が言った通り、麻酔をされて目を明けるまで一瞬だった。まさか9時間もかかったなんて思いもしなかった。

25歳は個人的にもいろんなことがあった年だったし、忘れられない一年だと思う。そしてこうして書いている今日は母親の誕生日ということに気づいた。

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