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山田縫製工場の「哲学」についての解説


この社会において唯一、安心して信じることができるのは

「物」だということに気が付きました。

国や政治、法律やメディア、地位や権力に富や名声。

これら社会的なモノは結局、すべて当てにならないものばかり。

もちろん、人のおかれた環境や立場などによって「真実」の捉え方は違いがあるかもしれないけれど、現代社会においては正しくなければいけない情報さえも、何かの都合により書き換えられてしまったり、消されてしまったりする。

そうすると”真実は何だったのか”が見えてこない。

そんな社会で生きている内にぼくは、心から安心できる、唯一嘘をつかない

存在が「物」であるということに気が付きました。

なぜなら、目の前にある物は見たままの形であり、嗅いだままの匂い。 聴いたままの音がして、口にしたままの味で、感じたままの触感。 当然、見る人、嗅いだ人、聴いた人、食べた人、触った人、全ての人によって感じ方は様々であったとしても、目の前にある物質そのものは何の変わりもない。

環境や時期によって変化したり、様々な影響をうけたとしても、

それらを包みかくさずそのままの姿かたちで目の前にいてくれる。

その変化の過程でさえ、追究し、探求すればしっかりと判明する。

それが「物」だと思います。

人間の様に欲もなければ社会的な理由など、人間の都合は物にとっては

全くもって関係がない。

例えばそれがリンゴだとしたら、人間が求める甘さや瑞々しさに関係なく、

目の前にある赤くて丸い物質は、見た目も味も重さも感触もすべて、 感じたそのまま。

さらに、総称的に「リンゴ」と人間が認識しているだけで、木になっているリンゴは1つ1つすべてがちゃんと違う。

本来​「情報」とはそうあるべきなのに、事実そうではないのがこの世の中であり、そのことにいつからかぼくは、物凄い違和感と危機感を覚えはじめた。

また、現代社会では物を作ることが大変容易になり、

目まぐるしいスピードでこの世の中に沢山の物が排出されています。

そのスピードは止まることなく、ただ欲望のままに膨れ上がっているようにさえ見えてきます。

はたしてこれは本当に正しいことなのか?と、日々考えさせられます。

全くおかしな世の中に、有り余るほど沢山の物。

いま一度、「物づくりとはなにか」を根本から見つめ直す必要があると

考え改めさせられます。

たまたま縫製工場を営む家庭に産まれ育ち、

たまたま後を継ぐことになり、

世の中のおかしさや人間の危うさに気付いてしまった。

だからこそ、そんなぼくが作る服は「嘘がない事」

という哲学のもとに作り続けたいと考えています。

「山田縫製工場の服」とは、

山田縫製工場としての考え方や生き様を

「服」をもってお伝えしていく、

この世界に向けてのメッセージです。

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