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「511」持ってるとか持ってないとか

とある嬉しい知らせがあって思ったことだけど、はっきり言って、自分に訪れる、未来からやってくる出来事が、良い出来事ばかりなのは当たり前であり、当然であり、納得だ。

運気的な、ツイテルとかツイテナイとか、持ってるとか持ってないとかそんな次元じゃない。そうなって当たり前という事ばかりが未来からやってきている。

おみくじで大吉が出たことも当たり前。 自分でも驚くような作品が出来上がったことも当たり前。 とあるデザイナーさんを唸らせることが出来たのも当たり前。 新規事業に、それを始める為に必要な資金が入ってくることが決まったことももちろん当たり前。

これら全ては運や偶然なんかじゃなく、ハッキリ言って全て必然だ。 そういう未来がやってくる様な”今”を常に送ってきたからだ。

何よりもスッキリしているのは、一切欺いていないこと。 周りの人たちの様に「なんとなくの雰囲気」とか「〇〇ぽい感じ」とかそんな中途半端なふざけた意識は一切ないし、いや、それってぼくからしたら嘘でしかないから。そうやって一切嘘をついていないこと。自分にね。それが何よりも心を晴れやかにしている。今までに日記で何度も何度も何度も同じ様なことを繰り返し書いてきたからわかるけど、ぼくは全くぶれていない。

こういう嘘一つ無いぼくが作る作品に対して、これら全ての出来事(一般的に言えば”良いこと”)は、その作品が自分の意思でしっかりと先を見据えて歩いていく過程の中で、訪れて然るべきことなのだ。てか本当にそうならざるをえなかっただけ。ただそれだけだ。

きっと少なからず周りの人たちはそうやってこれらのぼくとぼくの作品に訪れた出来事に対して、持ってるとか持ってないとかで物事を捉えるだろうけど、ぼくの作品やぼくそのものは、もうそんな次元じゃないということをまた認識させられた。

そういう一日だった。何度も言ってるけど、これはまだただの序章。 小説とかで言えば単なるまえがき。畑で言えば農耕し始めた段階。格闘技で言えば前座試合。それくらいまだまだただの序章。

未来からこういった必然的な出来事がまだまだやってくる。 目標とか目的とかそんな概念はぼくには無い。 「今、ここ」が全て。

以上。

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