ここ数ヶ月、いや1年以上は継続して更新していなかった日記を再開することにした。
と言うのも、親友から叱咤激励というかペップトーク(初めて知った言葉なので使ってみる)を受けたからだ。
言葉が合ってるか分からないが、ここ数ヶ月、打ちひしがれていた時期を過ごしていた。
そこで自分にとっての幸せについて気づいたことがある。 本質的な幸せの定義からすれば、家族や最愛のパートナーがいて、親友がいて、友人や知り合いなどがいて、日々生活ができていることが当然ありがたいことで、ふとした時に幸せだなとしみじみ思うことができている傍、一個人的な「表現」として作っている服がなかなか思うように進められずにいた。
そんな中でも今の自分に出来る、手前のことからでも少しずつ進めることはできた筈だし、ほとんどの事が行動に移せていなかったことで、せっかく繋がった大事な人と心のずれが生じてしまったことがあった。
自分のやっていることを理解してもらっていただけに、ここへきてそのずれはぼくにとってはとても悲しく、あれは心に大きく隙間ができたような感覚だった。失って初めてそれがぼくにとっての幸せの一つだったことを再認識した。
自分がしたい「表現」があるにも関わらず、その一つの術をなくしたようなあの感覚に、どんな言葉が適切なのか分からないし検討もつかないから言葉にできないんだけど、「あ、オレはこれ(表現)ができないことがとても辛いんだ」と単純に思えたのだった。
自分にとっての幸せの一つを見つけることができたからには、とにかくやるしかないと思えたこと。結局自分を裏切っていたのは自分だったということだ。
「表現したいことがある」という時点でそれはとても幸せだと思うが、ぼくは欲張りだからそれだけでは満足いかず、漢字から考察するに表に出さなきゃ「表現」とは言えないだろう。と、どこかの偏屈者が言いそうなことを思ってしまう人間だから、表現するための行動をやめず、外に出していくところまで全てセットになって初めて、ぼくにとっての幸せなのだろう。
という訳で、これから新たな気持ちで日記を書いていく。
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