中学時代の同級生と久しぶりに会った。ぼくを含めて4人だったけど、このメンバーは結構貴重というか、中学時代に大きな経験を共にした4人だ。みんな揃って会うのは7〜8年ぶりで、それぞれが、それぞれらしい大人になっていた。お互い今の状況を軽く話したりしたが、やっぱり4人が集まると、中学当時の大きな経験の思い出話に花が咲く。
その大きな経験とは、中学3年の夏休み、1週間かけて岐阜⇆京都を自転車で往復してきたのだ。中学生が他県に足を踏み入れることは、大人が初めての海外旅行に行くような緊張感にも匹敵する。自分たちの目の前で起きていることだけが世界だった中学時代、あの旅は、とてつもない冒険だったと思える。当時の思い出は、正直ところどころしか覚えていないけど、4人が集まると、各々の思い出がパズルのように組み合わさって、一つの物語が完成していく。
ママチャリで行ったという無謀さ。何度もタイヤがパンク。忘れられない京都御所での野宿。山で出会ったホームレス。コンビニで絡まれたレディースヤンキー。抑えきれない性欲を人の家の庭先で爆発。
あんな思い出は、あの時しか絶対に味わえないのだ。旅の道中に些細な事で沢山喧嘩したのはいい思い出話。だけどあの時はやっぱり未熟で、子供で、精神も肉体も弱かったけれど、”何も知らない”という強さは、大人をも勝っていた。なにせ当時は携帯電話すら持っていなかったくらいだ。
旅は人生に例えられる事があるが、確かにあの旅は、起承転結のストーリーもしっかりしていた。中でも忘れられないのは、滋賀の山中をやっとの想いで抜け、京都にさしかかった時のあの長い下り坂だ。まさに道が開けたあの感じは、きっと人生の中の絶頂のポイントを表していたんだろう。苦しくて苦しくて、それでも無心で前に進んで手に入れた、長い下り坂のあの幸せ。まさに理想的な人生とも言える。
そして長い1週間を終えて地元に帰ってきた時の、あの恐ろしいような寂しさ。もうこんなことは二度とないとも知らずに、疲れ切って家路に着いたあの切ない帰り道も、今では懐かしい。大人になった今では「ただただ楽しいだけ」ということはなかなか味わえないのだろう。あの当時しか味わえなかったことだ。
お互いに”共通経験”があるだけで、友達としていられる。あの多感な時期に、共有できた大きな旅の経験は、一生の思い出話しとして、また、それぞれが自分の子供に語り継いで行くんだろう。まさに、お金や物では変えられない、心にしっかりと遺った貴重な経験だ。
昨日のように、当時の旅のことを思い出した、とても楽しい会だった。 今のぼくは、正にスティーブキングがスタンドバイミーを描いた時の感覚に似ているのだろう。
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