先日、友達が開催していた絵画の個展に行ってきた。場所は全国的にも有名な美術館、豊田市美術館だった。3年前くらいに一度行こうとしたが改装中だったためいけず、それと距離的にも微妙に遠いせいかなかなか行けなかった。友人が個展をするなんて絶好の機会だったし見に行ってきた。
ちょっと話はそれるが、芸術家について昔耳にしたことがあるが、もともとは王族貴族とかの使用人として使えていた「職人」が現代の芸術家の元だと聞いた。すなわち、芸術やアートと行った表現する概念は、何十年?何百年?かは定かではないが、当時はなかったらしい。時代背景や社会や経済の変化で、やがてその職人たちが意志を持ち、表現方法として「アート(芸術)」という概念が形成されていったという。(うる覚え且つ素人が話していることなので間違っている情報かもしれないが。) そんな話を聞いたことがあったから、生活出来てるかとかはさておき、今の世の中は、自分の友人が芸術家という環境がありえるのも、とても面白いことだ。さらに、あの豊田市美術館で個展を開くとは、素晴らしいことに思える。
実はもともとその友達の事を、僕はあまりよく思っていなかった時があった。それは何かというと、いろいろと”中途半端”に思えることが多くて、なんだか口ばかりというか、とにかくいけすかなかったのだ。それはつまり、自分を見ている様だったからで、自分も同じ様に中途半端だったということだ。自分の内面から湧き出てくる言葉や意志ではなく、どこかで借りてきた様な言葉だったり態度だったり、分かったふりをしていた自分にどこか似ていたのからだ。
彼はそれから、一人絵を描くためだけに地元を離れ、ここ3年くらいずっと、没頭していた。ちょうど半年前位にひょんなことで連絡があり、彼のいろんな話を聞いた。その電話の様子で彼が変わっていたことに気づいた。まっすぐな言葉を、意志を持ちはっきりとぶつけてきた。それからガラッと彼の見方や接し方が変わった自分に気づいた。
そんな彼が描いた絵を、時間をかけて発想や思考をめぐらせ、じっくりとまじまじと見た。初期から始まり、現在の絵への移り変わりと共に、心境の変化や、当時の感情、脳や肉体、肌で感じたことなど、五感をフルで使って描いている絵だということはすぐに分かった。
面白かったのは、ぼくの勝手な考察だけど「生と死」について描いていたことだ。アートやものづくりの思考は、必ず「生と死」に辿り着き、そしてその思考をさらに昇華させていくと、生き物の本質的な自然へと関心が湧いてくるものだとぼくは思っている。それが服であろうが絵画であろうが、あぁ、やっぱり考えることは同じなんだなと感じたことが、何よりも面白かった。また本気で話し合える次の機会を大いに楽しみにして、ぼくもまた、自分の内面ともっと本質的に向き合いながら、自分のものづくりをしていきたい。
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