「モノを作る」ということは、自分の内へ内へと向かっていく作業だと思うのだ。自分の内とは、内面的な、もっと奥底の、自身の本質的な部分ということであって、モノを作っているようで、実は「自分作り」でもあるということに気づいていく。 その「自分作り」をしていく上で、必然的に多くのモノコトをインプットするようになり、それが作品へと落とし込まれていく。そんな作業の繰り返しだと思う。
モノを作るコトで、多くのモノを見たり聞いたり触ったり感じたり、と、自然と知識や体験が増えていき、少しずつではあるけれど、いろんな観点からモノを見られるようになって来ているなあと、自分でも少なからず感じている。
まさかこんな本を読むとは、昔では考えられなかったというような本を購入したり、そしてその本の中で紹介されていたモノを確認するために、見に行ったり、見に行った先でセレンディピティ的なコトが起きたりと。
全ての「モノを作る」という行為には、こうしたことが沢山あるから面白いのだと思うし、やめられないのだと思う。もはや、やめるやめないとかではなく”生活”に直結していて、その先ある「生きるとはなにか?」というところに繋がっている。
あと、”モノを作っている人”はやっぱり、たくさんの知識や感情を持っていて、面白い人がたくさんいる。なかでも本質的なものづくりをしている人からは特に、ズバ抜けて、卓越したヒューマンマインドを感じるのだ。ぼくが思うに”本物の人”とは、そういう人のことをさすんじゃないのかなと思うのだ。
そういう人はだいたい「じっくりとコツコツとやる」タイプであって、だからこそ「じっくりと、コツコツと」という日本文化的な言葉が、今も昔も変わらずに”その場所”にブレずにしっかりとあるのだと思う。
だからこそぼくは、この、すごく日本的な「じっくりと、コツコツと」という表現が、非常に好きになってきた。
最近こんな話を友人としていたから、モノを作るということで得た、本質的な発見を、ここにつらつらと書いてみた。ぼくは知識や経験がものすごく浅いし、実績もないから、これを読んで「なにを偉そうに言ってんだコイツは」と言われてしまいそうだけど、モノを作ることで発見したことだから決してウソではないのだ。
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