なぜだか海外から、このサイトへのアクセスが増えてきているのをみると、海外に住んでて、なおかつ日本語が分かる人がこのブログを読んでいることが分かる。ある親友が「どこからでも世界は見える」と、”最も今”の気分を捉えた言葉を残したんだけど、本当にそう感じるのだ。いわゆるインターネットの普及を表す言葉だ。
世界標準というと、聞こえは大きいかもしれないが、まだ新しいビジネスがスタートしたわけじゃないのに、なんとなくぼくの視野はぼんやりとそこにあるように思っている。せっかく世界とつながっているんだから、昔みたいに「日本で有名になってから海外が待っている」ということだけではない気もしている。さらに、”日本の地方”からでも、”日本の遠い田舎”からでも、はじめっから世界を目指すこともできると思っている。
かといって、ぼくがやらないといけないことは、日本押しばかりすることでもなければ、日本の地方押しすることもなさそうで、”ぼくたちだからできること”をただ純粋に、真っ当に、やっていくことだと思っているのだ。だから世界標準で考えていようが、日本向けに考えていようが、どちらでもいいと思っているが、ただたまたまぼくがやろうとしていることは、「これって世界に発信していってもいいよね?」と思えることだったから、そう感じているということだ。
だけどやはり東京は外せないなと思っている。最近東京と地元を行ったり来たりしてたけど、”東京”という場所は感度も高く、人も物もどちらも流入量がすごく多いと感じた。流入が多い→情報が多い→感度が高いというような成り立ちでできている。だからこそ、そこへ発信することは必然的であると思うのだ。ある種”日本の海外”という感じだろうか。
ともかく、間違いないことをずっと続けていれば、たどり着くところが海外でも日本でも、どちらにでも転がる可能性があるということだと思う。どういう理由でこのブログをやろうとか、目指すべきところはここだとか、いろんな決め事やゴールを決めずにやってきているけれど、自然と固まりつつあって、それは一見遠回りのようだったけど、実はすごく近道だったんだなと、ブログを通して感じたのだ。純粋に思ったことや感じたことを発信していくということが、”ここの本質”だろうな。
こんな”小さなブログ”でも、海外からアクセスがあるということは、今後また違った観点で捉えることが出来そうで面白い。
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