いつも美味しいご飯を教えてくれたり、お酒も教えてくれたり、一緒に食事していて勉強にもなるし、親友の一人はその感度が高くて一緒に食事していてすごい楽しい。しかし、いわゆるそんな”楽しいこと”を共感できる人が周りに結構少なくて残念に感じている。
以前友人と食事をしにイタリアンに行き、ワインを楽しもうと思っていたけど、ワインを飲むだけで「ブってる」だの「気取ってる」だのと、そんな否定的なことばかり言うから、全く楽しくなかったのだ。ブってたり気取ってるつもりは全くなく、純粋にワインに興味があるから飲んでいるし、覚えたいからいろいろ飲み比べたりして勉強しているだけで。知識もないからひけらかすこともしていないのに。。非常に居心地の悪い、楽しくない時間だった。
そもそも、感心を持って、体感して、知っていくということは、深みもまして面白くなっていくはずだ。興味感心があれば「これはなんで美味しいのか?」という疑問も生まれてくるし、掘り探っていくのは当然だと思う。ワインだけではなく、物事全てにおいて。
そんなことをその親友に話したら「結構食事を一緒に楽しめる人っていないもんだよ」と言っていた。ああ、そんなもんなんだと寂しくもなった。続けてその親友は「だから俺は、食事とかお酒を楽しめない人と食べに行く時は飲み物もレモンサワーだけだし、食事の種類もこだわらないことにしてる」と言っていた。彼もワインにはまり始めた時、周りからぼくと同じように気取ってるだのなんだの、結構言われたらしい。
でもそうやって言う人って純粋に、物事への興味や好奇心、感心が薄い証拠で、感度が低いということだと思うのだ。もしくはそもそも「楽しむ」という概念がぼくとは違うのだろうか。
小さい頃、新しいものや事に出会った喜びは、それはもう大きかった。ぼくはそんな子供の心が最も尊いものだと思っている。だけど大人になるにつれ、多少の知識や経験も増え、物事に対してなんらかの概念をつけて斜めから見てしまいがちで、素直ではなくなるんだろうな。確かにそうかもしれないけど、だけどそれはただ感じることへの努力が少ないだけで、感じることの楽しさを忘れてしまっているだけだと思うのだ。よく言う子供心を忘れるということだろう。
やっぱりぼくは、そうはなりたくない。これからもいろんな”モノやコト”に素直に、興味を持って接していきたいし、たくさん経験していきたいと思っている。だからこそ”感度”は意識していきたいところだ。
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