「66」
- 山田 雅樹
- 2018年5月23日
- 読了時間: 2分
第一次情報を掴むことは非常に困難だ。インターネットの普及により、様々な情報が飛び交い、フィルターを何層も、まるでミルフィーユのように重ね、そしてようやく自分の元に届く。その届いた時には、まるで伝言ゲームのように言葉が変わり、表現が変わり、ニュアンスや響き方すらも全て変わってしまっていて、もともとあった真の情報とは異なることが多いらしい。ネット上では、この日記もそうだけど、いろんな人がいろんな解釈を自由に発表し、どれが真実かわからなくなることが多い。ブロガーやアフィリエイターが増えて、専門的な人の意見が取り入れにくい。ということをぼく自身も感じることだってある。
その中で、第一次情報とはまさしくその情報の根源(現場)を目の当たりにしている情報ということだ。そうでない場合は”机上の空論”ということになるということだから、すなわち、リアルを見ることが、なんの偽りもない第一次情報ということだろう。それを間違いなくキャッチし、感じることこそが重要なのだろう。
先日いろんな記事やメディアに書かれていたお店に行って来た。第一次情報をしっかりと見るために。しかし、思っていたのとは少しだけ違っていた。自分の感じ方が悪かったせいかもしれないが、だけど情報とは少し違う感覚だった。いわゆる、自分の中の想像を勝手に膨らませ過ぎていたから、想像に劣ってしまていた感じだったかもしれないが。
だけどこれが良い悪いではなく、これでまた一つ自分なりの第一次情報を手にした。こうした”足で稼ぐ”積み重ねが、何よりも重要だということを改めて感じたのだ。
”第一次情報を得るには体験するしかない”
それは、ぼくの人生哲学になりつつある、”リアル”はウソをつかない。そういうことと同じ気がする。
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