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「51」

なんでも見た目から入ってしまうところがある。父親譲りのそんなところがある。例えば初めてスポーツをやるにしても、とりあえず一式全て”間違っていないやつ”を揃えてしまう。

本来なら一回か二回くらいやってみて、それから揃えれば良いものを、やる前から揃えてしまって、後でいらなくなったりしたことは今までに何度か経験している。でもあれってなんで見た目から入ってしまうんだろうか不思議に思う。

どこか周りと違った感じだと恥ずかしい部分があるからそうしてるのか、もしくはちょっと出来る風に見せたいのか。。過去を振り返って考えてみたら、どちらもあった気がする。別に周りの目なんか気にしなくていいのになぁと今では思うが、それでもちょっと格好つけ的な感じが否が応でも出てしまうんだろうな。そんな自分に対して後々ダサいなーと思える。

大人になるにつれてそんなことがなくなってきた気がする。ものは試し用。なんでもやってみないと分からないというのが身にしみて感じ他のだろう。

講談師の神田松之丞という人の話が面白かった。最初は立川談志の落語”らくだ”という演目を観て鳥肌が立ったとのこと。普通その衝撃を受けたらそのまま弟子入りしてしまうであろう所だが、彼はどこか冷静で、他にも神田松鯉の講談も聞いてそっちに決めたらしい。「神田松鯉の話は面白くなかったけど」とはっきりと言っていた。それも面白い。それでも石橋を叩いてわたるように慎重に師匠を選び、落語ではなく講談師の世界に飛び込んだらしい。

こうして”じっくりと見定める”ということも時にはとても重要なんだろう。時にはというか感情だけではなく見定めるということの方が天秤にかけた時の比重としては重いのだろう。

しかしフットワークが重くなってしまってもダメだと思う。その塩梅やバランスがなかなか難しいなと思うのだ。ぼくはまだまだ経験と感の鋭さを磨く必要があるな。

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