奥ゆかしいという言葉がなんだか好きになってきた。 表立って見えたりすることではなかったり”さりげなく”という、控えめでいて上品な感じは、どこか日本的であって綺麗な印象がある。
最近とあるデザイナーさんから個展のお知らせが届いた。
よく届くDMでは、言葉が多く使われているが、その人からのDMは”言葉足らず”な印象を受けた。言葉や雰囲気の主張があまりにも少なかった分、裏面に載せられていた写真のインパクトがより印象深く頭に残っている。
「言葉足らず」というのも「奥ゆかしい」にどこか似ている気がする。 情報などを伝えるための”文字”が出過ぎてしまっていては、そもそもそれで答えが出てしまいそうで、個展の意味などがなくなってしまいそうだ。
つまり、全てを説明的にしすぎてしまうと、受け手として見た時に面白みを感じなくなると思う。答えがわからないからこそ気になるし、その先が知りたいし聞きたいと思える。説明が全然足りないくらいのモノの方がまさに「奥ゆかしい」モノなんだと思う。
そんな出過ぎない印象というのは人においてもモノにおいても、非常に重要なことなんだと思った。今までぼくはモノを作る上で、どうしてもいろんな”飾り付け”などを使いがちだった。足りないところを埋め合わすかの様に、色んな細工を施したりしていた。それはある種の自身のなさの現れとも思える。
反対にそれを削ぎ落としていく作業を最近ずっと続けている。 ”何もない”ことほどこれほど大変だとは今まで思いもしなかった。まだまだ奥ゆかしいは程遠く感じる。奥ゆかしい日本的な美をもっとたくさん観てみたいと思うばかりだ。
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