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づけづけと遠慮がない。

ウチの会社に来ている中国人実習生の一人が、今年の9月に3年の期間を終えて帰ることになる。みんな日本に来て数百万も貯めて帰る間際に母国に送金をする。とても感心するし立派だ。


というわけで送金したいという一人を連れて名古屋にある中国銀行の支店へと行った。説明はいらないと思うが中国銀行というのは、日本の中国地方の銀行ではなく、中国国内にある銀行で、その日本支店が日本国内に数店ある。名古屋はその内の一つだ。


自動ドアが開いて中に入ってまず最初に思うのが「めっちゃ中国やな」だ。なんというか電気の加減もどんよりしていて、床はツルツルしたタイルで、順番待ちの紙が出てくる機械が壊れている。記入するために設けられたテーブルのガラスは曇ってて少しベトっとするし、預金の引き出しや入金などの為に何枚か重ねられた記入用紙はちょっと湿気っててクシャッとしてるし、ペンはペン立てに刺さっていない。


20代前半から20代後半の頃までは、仕事でしょっちゅう中国に行っていた。

当時父親が中国の田舎の、上海から飛行機で4時間位のところに江西省の南昌という市があって、そこに自社工場作っていたからだ。

汚さはそれはもうとてもひどかった。当時はまだ開発途中の地域だったから、道路はまだ赤土で凸凹だし、どこのトイレも汚すぎてとてもじゃないけど女の子なんかは無理だと思う。出てくる料理もカエル、トカゲ(確かカメとかも食べてたんじゃないか?)とか、とても食べれたもんじゃなかった。一回工員を集めた宴会の料理に、前足と後ろ足をそれぞれ結ばれて棒に引っ掛けられた子羊の丸焼きが出てきて、ビニール袋とナイフを片手に切りながら食べたこともある。今では食べれないと思う。

できるだけ野菜を食べるようにしてて、ぼくはニンニクの芽や青菜炒めが中でも好きだった。


今でこそ上海や広州ならまだマシだけど、でも建物の中に入るとやっぱりそれなりに汚い。でも都市なんかはまだマシな方だ。

と、そんな雰囲気が中国銀行には漂っていて、懐かしさと相変わらず感があった。


話がそれたけど、受付を済ませ、待合いの椅子に座った。 隣には他の中国人の人たちが椅子に深々とふんぞり返るように座っていた。それもなんか中国人らしいなと感じ、左から順にぼく、実習生の一人、その向こうに二人の女性の中国人、という並びで座った。

するとすぐに実習生の一人が隣の二人に話しかけて、初対面にも関わらずガンガン自分のペースで話す。二人も同じようにあーだこーだいって話していた。なんの話をしてるのかと聞くと、送金できる金額の限度があるらしく、お金を一回で数百万も送れないらしい。(後で銀行員に聞くと今は規制が厳しくなっているかららしい)

あーそうなんやと返事をしていると、初対面にも関わらずお互いがいきなり通帳の中身を見せあって話込んでいた。


初対面でガンガン話しかけてさらにづけづけとした遠慮のない感じで通帳を見せるその光景を見てぼくは、今の自分が忘れている何かを思い出したように感じた。初対面で話しかけるのはできるとしても、通帳を見せあうほど遠慮のない感じはさすがに自分にはない。

なんというか中国人の強さを改めて感じたのだ。


大人になればなるほど、相手の顔色を伺い迷惑かけないようになどと心がけるようになったり、何か"常識"という枠組をいつしか作ってしまう。結構ぼく自身、通帳までは見せないとしても、もっとグイグイ話しかけたりしていたこともあった。居酒屋で隣になった北海道から来ていたおっちゃんと仲良くなり連絡先を交換してその後やり取りをしてたりだとか。もっと外交的だったと思う。


今の自分は内向的だと感じる。

づけづけと遠慮のない感じを取り戻した方が人生面白くなる気がした。

今の自分が忘れてしまっていたことを、中国銀行で思い出した。

理由は様々だけどいろんな国でチャイナタウンなど作って異国の地で強く生きている中国人たちの生きる強さ、底力を感じた。


今の自分に足りないものだ。



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