ようやく劇場で映画を観られるようになった。 いつもの親友から誘われて、AKIRAの4Kリマスター版を観に行ってきた。
映画自体の感想を書きたいわけじゃなく、この映画がなぜ、世界的に評価を受けていたのかが納得できるというか、それ以上に明らかに圧倒的だったということを残しておきたいかった。
「何がなんだか分からんけどとんでもないものを観てしまった」それがこの映画を観終わったすぐの感情だった。開いた口が塞がらないというか、思考停止させられたというか。とにかく凄過ぎて言葉を失った。
現代の世の中のあり方に心底怒りを感じている自分の心情に近いものがあり、まるでその怒りが爆発した時の様子を、観させられたような感じだった。
圧倒的ということは正にこのことで、アニメーションというより、映画というより、そういったジャンルに全く収まっていない、もっと宇宙規模で、引いては人間の、もっと根源的な生命の普遍的なことを表してると思う。
例えば一つ簡単に言うとすれば、今の世の中で生きていて感じることは、嘘っぱちの秩序だということ。 みんながみんな”社会”というルールの中で生きているんだけど、でもその社会を作ってる人間そのものがもうおかしい。それはすごい小さなことで言えば政治家による馬鹿げだ隠蔽だのそんなこと。そもそもそんなことしてる奴らが作ってるのがこの社会。その”おかしな社会の中において正当とされる秩序”を振り回しているんだから、普通に生きていたら居心地が悪くて当たり前だ。 その秩序が正義であり、そこに行き過ぎた資本主義や現代の間違ったIT的思考が加わりさらにややこしくさせている。それが加速し、もう誰も止められないところまできた。
話は変わるが、ぼくは分かりやすく時代に流された一個人であって、幼少期は父親やお爺ちゃんの代は仕事が上手く行っていて、なかなか稼いでいたみたいだ。聞くところによるとアパレル業界は当時、物を作れば売れる時代で、ガチャ万(機織り機で一回ガチャっとすれば万儲かる)という言葉もあった。そんな時代にお爺ちゃんは縫製業を営み、そしてその後バブル期のころに父親は創業した。
幼少期はそれでいて金銭的には割と余裕がある家庭で育った。 それからぼくが中学生〜高校生くらいになる頃には、景気が悪くなり、業績も悪くなり始めた。それからほどなくして19歳くらいからこの業界に入り、20代半ばの頃、父親の会社が経営破綻した。
良くも悪くもこの時代に流されてきた。そして社会人になってからは個人的にアパレル、ファッション業界では一度も良い思いというのはしたことがない。そうした中でフラストレーションや怒りがどんどん溜まっていった。
もっとこうするべきなのに、なんでしないのか。単純にそんな疑問が湧いてきても、それが社会だから、ビジネスだから、アパレル業界だから。と蓋をされてきたのも確か。ぼくはそれをずっと、根っから受け入れられなかった。
これはアパレル業界に限らずの話だと思うし、ぼくから言わせれば、社会なんて所詮こんなもん。結局みんな世の中こうだからという良く分からない馴れ合いや風潮で成り立っている。それがこの世の中の秩序と言えるんだろうな。
そんな秩序がはたして真実か嘘かは一目瞭然で、それでも平々凡々と生きてしまっている、生かされてしまっていて、ぼくもそのうちの一人だった。しかしもう、気づいたからにはそこに対してなんの怒りも持たないような人間になっちゃいけないと思っている。今の社会に対して偏屈であり、変人である人の方が本当だと思う。
行き過ぎた世の中であり、もう止められないところまできている。 爆発寸前だったのが最近、ついに爆発した。
それは正に、今回見たAKIRAの怒りと同じだった。 最後にいろんな物を吸収して大きく膨れ上がっていくAKIRA(鉄雄)その物だと言える。
こうやって気づかせてくれて新しい世界に誘ってくれる作品こそ、本物であり、長く残る物だと思う。さらに本物と言えるのが、アニメの表現はもちろん、山城組の音楽も当然、細部まで一切妥協なく作っているのがこのド素人のぼくにでも分かる。ハッキリ言ってここまでやっている物作り、今の世の中にはほぼ無いと思う。ほんの1%にも満たない本物の作品の中の唯一の作品だと思う。それくらい圧倒的だった。それ以上の感想は出てこない。
何度も何度も繰り返し同じようなことを言ってるのは承知だが、結局そこに怒りがあるから、世の中に納得が言ってないから、結局どんなテーマで語り始めても、同じところに辿り着く。AKIRAを見ていて、内に秘めた同じテーマを感じた。
つまりそれが、普遍的なことなんだと思う。普遍的なことを、まざまざとあそこまでリアルを超えて描ききった狂気とも言えるAKIRAが、後世に残るのは当然のことで、これからも沢山の人に影響を与えていって欲しいと願う。
この世の中で上手くやりたいなら、怒りを止めて、世の中にしたがっていれば何も問題なく生活できる。右習えの精神で生きて、世の中と対立せず”良い感じ”に手を取り合っていけば、きっと何にも問題ない。例えなにか疑問に思ったことでも「まあそれが世の中ってやつだから」とお決まりの文句ですんなり受け入れ、嫌なことを見て見ないふりをして、なんでも水に流していれば上手くやれると思う。いわゆる世の中の優等生でいれば、問題は無い。事実、そうするように習ってきたし、そうしろって言われてきた。
だけどやっぱりぼくは、怒りを止めちゃいけないと思う。そんなんじゃ今回のAKIRAのように時を超えて後世に受け継がれ、自分みたいな怒りを持った人間の心を射止め、そしてまた次の素晴らしい作品が生まれるキッカケを作れないと思う。
だからぼくはこのまま怒りを止めず、これからも今の世の中に右習えで生きるつもりはない。それが、AKIRAという作品が、作品を通して教えてくれたことだと思う。
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