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「567」コロナから思う事。

地元の岐阜では、自粛も解かれ、人の動きが少しずつ戻りつつあるように思う。飲食店へも前より行きやすい雰囲気もあって、知り合いのお店とかも、ちょっと活気付いていた事が嬉しかったりする。

そういう空気の中で、改めてこの「コロナから」考えられることや思った事を記録しておこうと思う。足りない知識と情報の中で思うことだから、結局は少し前に書いたことと同じような内容になる気はするが。。

コロナが起きて、経済的なダメージは大きく、実際に倒れてしまった取引先さんもいる。当然アパレル関係に限らずいろんな業種にそれが起こっている。 その個々のダメージの大小は測れないが、少なからず、何かしらの影響は出ているはずだ。

そして、経済が少し止まった時に起こった事が、ぼくとしてはこれからの世の中のあり方のポイントの一つだと思う。そのポイントが何かと言えば「物を一時的に作らなくなった」事だ。 この事は、ぼくとしてはかなり大きなキーポイントなのだ。

お年寄りの人から聞いた話によれば、戦後の日本は当初まだ貧しかった。 米を食べれない家庭もあり、学校の給食費を払えない家庭もあった。米の代わりに麦ご飯を食べたり。そういった貧困層がまだ日本には存在した。 しかし高度経済成長をとげた現代は、0とは言えないかもしれないが、その当時ほどの貧しさが日本の至るところにあるとは思えない。それは「豊になった」ということの表れだと思う。豊とは、物が多く、ゆとりがありと言うことだ。

そして、そういう世代で生きた人は必然的に、何事も豊富であることが、人生の幸せであるという価値観の元に生きているように思う。良いとか悪いとかじゃなく、そういう概念というか。ぼくももう20〜30年早く生まれてたらその価値観がもっと定着していたに違いないと思う。

その豊は今では「当然」であり、「豊過ぎる」世の中になったと思える。産業が発展し、沢山物が作れるようになり、人々の生活はどんどん便利で豊なモノとなってきている。現代は正に「行き過ぎ」てしまったように思う。 とはいえ、自分もその社会の中で、便利すぎる物事の中に囲まれて生活しているのは確かだ。そして現代の人間がとっても暮らしやすい環境に肩まで浸かっている。

ここで一度話をアパレルに戻してみると、戦後の産業の発達や海外ビジネス思考の輸入にインフラの整備、こららが元となり、服が物凄いスピード大量に作られ、そして凄い勢いで消費されてきた。現在進行形だ。まだこの加速はスピードを緩めていない。それが正に行き過ぎた豊だと思える。だって、この世の中に、そんなに服は必要ない。にも関わらず、新しいブランドがどんどん出来てきている。これでもかと、新たなブランドがどんどん立ち上がる。

そういった中で今回ようやく「物を一時的に作らなくなった」というある種の経験をした。回転しまくっていた輪が、一時的に、半ば強制的に、少しの間とは言え止まった。この時に何が起きたかというと、淘汰だ。この言い方は、人によっちゃ失礼で大変悪い言い方をしてしまっているが、でもこれは事実だと思う。

そしてもう一つの事実は、行き過ぎたモノが一度止まったことにより、この状況を再確認せざるを得ない貴重な時間が生まれた。

何を再確認するのかと言えば、なんでそんなに大量に物を作る必要があるのか?どうして新しいブランドが増え続けるのか?ブランドってそもそも何なのか?ファッションって何?服ってなんなのか?何の為に存在する物なのか?物を作るって一体なぜなんだ?物を作るってどういう事なのか?そう考えていけば、もっともっとその先(奥)に考えが到達するはず。

こうして今一度、普遍的な事を考える余地が生まれた。

でもまだ、この後に及んで芸能人が再生繊維で作った”ブランド”を始めたりしている。サスティナブルであり、エコであり、という嫌気が差すような謳い文句をバンバン使用して、大きな声で高らかに誇らしげに発表している。それは、某有名ファッションタレントモデル?なんだけど、なんて浅はかなんだと、ぼくは聞いて呆れた。

そういう事じゃないよな。再生可能で、エコでサスティナブルだったら、全て良いのか?じゃあなぜ物を作るんだ?資源を使って物を作る必要があるのか?作らない選択肢もある。むしろ地球環境を考えたら「作らない事」が一番良いに決まっている。サスティナブルやエコを謳ったブランド何かを作る前に、芸能人で影響力があるんだったら、大量生産大量消費を抑えるような発言をすることもできる。それでも作る理由はなんなのか?決定的に一つ言えるのは、それは結局ビジネス何だよな。だからぼくはハッキリ言って嫌気がさす。だって、なぜファッションにする必要があるのか?そもそもまず、なぜあなたがエコファッションをやるのか?もっともっとシンプルに考えて、欲しい。

ぼくは、ぼくが服を作る上で、これらの問いに対してしっかりと答える必要があると思っている。それがでなきゃ、ぼくがこの先、服を作っていく意味はない。

「ファッションブランドを作る」という見栄っ張りの格好つけは、ハッキリ言ってもう時代遅れの価値観であり、物の捉え方であって、必要ないとぼくは思っている。

だからぼくは現代の世の中で、ファッションやブランドを作る気はさらさらない。ぼくが作るのは「服」。今、そしてこれからの世の中に必要な服を作る。

今回のコロナで地球規模の問題が起きたが、でも起きなかったとしても、ぼくは同じ事を考えている。ただ、ぼくが進めている服作りにとって今回のコロナ問題は、大きなプラスの影響を与えている。それは、ぼくの服が産まれた理由が、より分かりやすく明確化する為の出来事であったように思う。

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