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「563」大量とか大衆とかコロナとか。

今の世の中は当然、コロナの話で持ちきりで、そりゃあこんな数十年?もしくは百年に一度あるかないかのことだから。だからぼくもこの状況について何か自分が個人的に思っていることをまとめておこうと思う。

なんでそう思うかと言えば、大正生まれや昭和初期の人が戦争をリアルに体験して、今もなお語り継がれているように、きっとこの先、今この瞬間に自分が生きていることは、現代に生まれて生きていない人にはどうやっても深い理解と感覚は得られないものであり、どうせ日記を書いているなら、それをちゃんと残しておこうと思ったからだ。

最初の頃はと言うと、SNSも辞め、テレビも見なくなったせいもあり、今年の3月に差し掛かるくらいまでは正直コロナなんて言葉は全然目や耳に入ってきていなかった。大きな3Dのスクリーンがあるコロナという映画館くらいしか知らなかったくらいだ。

お昼の情報番組を相変わらずイヤイヤ見ないといけない状況にあったのがキッカケで、その情報番組が次第に大きく取り上げるようになり、徐々に自分も認識してきた。3月の上旬〜中旬頃は、確かまだ横浜とかの大きなクルーズ船の中にみんな隔離されていた。それが2週間くらい隔離されていて、ようやくクルーズ船も港に戻り、おさまり始めたか?と思っていたら、全くその逆で、とんでも無く速いスピードで日本国内にも広がりを見せた。3月末頃になると、それが首都圏だけで無く、ぼくの住む地方の岐阜にまで及んできた。

そこから感染は一気に広がって、4月中旬〜下旬に掛けて、地元の市だけでなく、自分が住む隣の町内に感染者が出るというところまで感染が猛威をふるっていた。 GWに差し掛かってから現在(5月10日位)までは、地元では新たな感染者が出ることは無くなってきているが。。

4月の中旬から全国的に緊急事態宣言が発令され、外出自粛が言い渡されてからは、街は閑散としてきて、車通りもいつもと比べるとまるで少なくなった。こんな小さな地方の田舎でさえこんな状態なんだから、都市部は相当静かに違いなかったと想像する。

世界各国でこのウィルスは猛威をふるっており、アジア圏からヨーロッパへ、そして現在はアフリカの方まで広がりを見せているらしく、これまでにあったSARSやMARSとよりさらに大きな、世界が経済危機に陥るようなところまできているのが現状だ。

こうした大まかな流れはきっとこれからいろんな書籍やメディアなどで歴史的な事象として取り上げるだろうからここまでとして、ここからはさらにぼくのドメスティックな感情をちょっと書いておこうと思う。

今回、正直ぼくの仕事にも、今後かなりの影響が出てくる。6月中旬以降の様子が特に、個人的に物凄い危機を感じている。

緊急事態宣言があり、外出自粛をすることにより、百貨店やモール、路面店などの直営店がクローズされ、それが長引けば長引くほど、物は売れなくなる。インターネット販売を両立させているブランドは多少、インターネット経由の売り上げでしのいでいるが、それも長く続くかどうか。

そもそも、外に行く予定があるから、オシャレをする。人に会ったり、目的の場所へ行くことがあるから服が必要とされる。それを自粛しているのだから当然、必要のない服を買わなくなる。買わなくなることで、多くのブランドの売り上げは落ちる。すると当然、次のシーズンの企画を中止させる。そして展示会も行わなくなる。そうすると生産の予定が無くなるから、ぼくら工場への発注も無くなる。作っても売れないのだから。

こうやって、お金が回らなくなる。 基本的に、こうした仕事への危機感があり、やがてぼくらの生活を脅かし初めるのだろうと予想する。それはそれで、何かの対策が必要だ。会社も、スタッフも、そして自分も生活出来なくなるのだから。

でも今回のこのコロナって、自然的な要素で発症して広がっているのだとは思うけど、でももう少し真剣に考えて見ると、経済が回らなくなるほどの経済危機が訪れたということは、ある種この資本主義社会がもう限界のところまで来ちゃっていて、大きな転機を迎えているような気もする。

資本主義といよりは、大衆大量消費社会のこの構造が限界な気がする。

つまり、今の現状で「余分な物は作れない」という現象が起きている。 これまでは、余分な量を作って、余ったら破棄することをしてきたけど、そんな本当の無駄なことは出来ない状況かにある。というか、ようやくそれに気づき始めたというか。

ちょうど今回のコロナが発生する前から、アパレルにおいては有名だった大手のファストファッションのブランドが数社、ブランドを辞めたり倒産したり、あと、長いこと安くものを作れる海外生産に頼ってきた生産背景を、ここ数年では日本国内に少しずつ戻そうというブランドの動きが結構見られて、アパレル業界においてはちょっとずつ体質が変わりつつあったちょうどそんな時に、今回のコロナにより”そうせざるを得なくなる未来がちゃんとやってきた”ように、ぼくは感じている。

この変化が何をもたらすのか、さらに考えてみると「本当に良い物は何か?」を世の中にしっかり定義していくことが当然必要とされてくるはずだ。 だって、大量に作って大量に売るから安さを追求できてきた訳だけど、それが出来なくなってくるということは、その逆に思考が向かうに決まっている。

実はそういう動きをしようとしているアパレルブランドはここ数年で本当に多くなってきていた。この日記でも何度かそんなことを書いたと思うけど、職人の技とか、手仕事がとか、一点一点丁寧にとか、そういう言葉を売り文句にしているブランドが圧倒的に増えた。 他にも本当に多いのが、オーガニック系などの自然なものを売りにするブランドもかなり増えた。

でも、ぼくが言いたいのはこう言うことじゃ無い。それが必ずしも良い物だとは言えない。 ハッキリ言って、それら多くのブランドがやっていることは、ただの「売り文句」に過ぎない。何かって言うと結局は、見せかけとしての「職人、手仕事、一点一点、オーガニック、自然」を使っているだけだからだ。

つまり、ぼくからしたらそれら全ては「嘘」である。 ”本当に”良い物が何かってのをちゃんと伝えなきゃいけないのに、それら全てに言えるのは、売るための口実を作っていることであり、嘘である。つまり、ただのビジネスに過ぎないと言うことだ。

腹が立つのは、売るためにそれっぽいコピーライティングをしたり、良い風に見せたりして、さらに嘘で周りを綺麗にコーティングして、人々をまだ騙そうとしているその魂胆がぼくには許せない。もう本気でうんざりだ。

そうじゃ無くて、もっと本当に良いものが何かを伝えなきゃいけないのに。これはアパレル業界だけに言えることじゃないだろうけど、少なくとも、ぼくが生業としているアパレル業界では骨の髄まで嘘の精神が浸透している。正直、ぼくが出会ったアパレル業界の人の中で本当に良い物を作っている人は今までに一人もいな買った。それくらい、服作りや服売りはビジネスなのだ。

ぼくは、本当に良い物が何かって聞かれて、パッと答えは出ないし分からないけど、でも一つだけ言えるのは、嘘の反対が本当であるということだ。もしくは、偽物の反対が本物である。とか。それを追い求めて、服を作った自負はある。

不謹慎かもしれないが、こういう嘘で塗り固められた現状が変わるには、今回の経済危機、経済爆発は、必要不可欠だったかもしれないとぼくは本気で思っている。 それでも、チラッとテレビやSNSを見る限り、まだこれじゃ変わらないなーと思う部分は沢山あるけど、でも、これが世の中の何かを変える一つのキッカケになっていることは確実で、間違いないと思う。

もう一度、不謹慎を恐れず言えば、今回のコロナは、溜まってた何かが思いっきり爆発した感じがする。そうとしか思えない。 かと言って、自分の知ってる人や友人が今回のコロナで打撃を受けているのはとても残念だし一刻も早い終息を願っている。

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