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「555」生と死と選択

少し前に書いてた日記だけど、暗くなりそうだったから途中でやめていた、その続きを再び書き始める事にする。

昨日(2/21)は母親の命日だった。母親が死んでからちょうど8年になる。 もう8年なのか、まだ8年なのか、時間の感じ方は家族それぞれだったんだろうなと想像しているが、ぼくからしたら”もう”の方だ。

普段の生活の中では、母がそこにはもういない事に”慣れ”つつあるが、実際に墓を目の前にすると、いろんなことが頭の中を色々巡ってくる。

52歳の若さで死んだから、生きていたら今年がちょうど60歳で還暦を迎えていた。60歳は、まだ若いと思うのか、結構歳だと思うか人それぞれだけど、80歳を平均寿命としたら、基本的にはまだあと30年生きれた訳だ。つまり、平均よりも大体30年も早く死んでいる。

さらに、男3兄弟を成人まで育てあげ、その三兄弟もぼくはまだギリギリだけどそれぞれがすでに独立してるから、やっとこれからは自分の時間を楽しむ時だったはず。

30年って意外と長いはず。ぼく自身として30年余り生きてきただけで、結構経験したことはある。母親からしたら、やり残したというか、やってみたかったことなんて山ほどあったはずだ。彼女は一体何がやりたかったんだろうか?

そう考えると当然、自分だっていつ死ぬかなんてわからない。占い師でもないし、先のことなんて、その時になってみないと何も分からない。統計などを使って予測や推測や憶測を立てることはできるけど、それ以上はできない。

生きることってつまり、死ぬことだ。いつか必ず来る死をどこかで意識してしてることこそ、本当に生きてるということだ。なのに、ただ何の気なしに生きてる人?いや、社会や周りに生かされている人をみてると、どうかお願いだから母親と変わってくれないかなと思う。

つまり本気で生きることを考えるなら、どう生きるか選択する必要がある。これをする、これをしないを生き様が、その人なんだと。

ぼくが、SNS(本質が全くないダメなコミュニティーの象徴)をキッパリ辞めたのはいわゆるそう言うことだ。やらないという生き方を選択した。中途半端に連まないというのも選択の一つ。なぜなら、本当に良いものをみたい、良いものを作る側でいたいという、本物の生き方をするための選択だから。

ちなみに一つ言っておくが、この社会の中でよく「無駄」という言葉が出てくるが、それを使ってるほぼ99%の人が本質的な無駄の意味を全く理解していないで使っている。ぼくが言ってるのは、その99%の人が言ってる無駄の意味ではない。効率、時短、生産性という概念の中で使ってる無駄ではない。そんな馬鹿げたこと言わせないでほしい。この意味が理解できてないなら、もっと自分で熟考し、内なる自分と対話してくれ。

とにかく本当の無駄をやらない選択をした。人生は一回きりだから。 母親の死と向き合うことは、そのことを痛感させられる。どんだけ愛していて、どんだけ彼女を想ったとしても二度と会えない。自分の勝手な想像や夢の中だけでしか、もう会えない。なんてったって人生は死ぬ為だからこればかりはどうしようもない。

だとしたらどう自分は生きるのか。この一回の人生でどういう選択をして、どういう生き様をするのか。

そういえば昔、トレインスポッティングの冒頭とエンディングで、choose life?という言葉が出てきて、その言葉に物凄い感化されメッセージTシャツを作ったことがあった。あの時のあの感情は間違っていないけど、あの時より、今はさらにもっと深く理解できている自分に気づく。

choose life?の意味はいちいち説明しないから自分で調べて欲しい。

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