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「552」自分の非を認める

やっぱりね、これは本当に至極真っ当なことだと思うけど、何かを間違えたり、失敗したり、人に迷惑をかけたり、そんな時は謝ることが何よりも優先だと思う。

たった30数年しか生きてないぼくの様な小僧でもそう思ってるんだし、30数年だけで謝るべきことは今までに沢山あったから流石にもう分かるけど、なんでもいいから謝ることをしないと、何も初まらないよな。

どんなことがあろうが自分の非を認めないと言う、特に年代が上の人にハッキリとぼくは言っておきたいけど、謝らない人が多すぎる。いちいち言うのもバカらしいが政治家は特にな。そして奴らを筆頭に、「昔の日本人」と言うのが正しいか的確なのかは分からんが、”ぼく目線で言えば”昔のおっさんおばさんらは謝らなさすぎる。(同年代でも下の年代でも同じ様に謝らない奴は沢山いるけど。)

これについては、「昔の仕事の仕方」と「今の仕事の仕方」というくくりで分けられると感じている。昔の仕事の仕方とは、父親やおじいちゃんの年代の話を聞いている中でいつも思うのが、この人達は”ハッタリをかます世代”だとぼくは認識している。 自分を大きく見せることで、仕事を取ってきたり、自分を大きく強く見せることで、相手に舐められない。そういう態度が垣間見れる。良いとか悪いじゃ無く、そういう時代を生きてきたんだと思う。

だって容易に検討がつくが、今の時代と比べてインターネットもないんだから、個人情報があくまでも”噂”に過ぎないと思う。例えば「どこどこ高校の誰誰は喧嘩が強い」とかいう情報があれば、「オレはそいつと知り合いだ」なんて言えば喧嘩を売られない訳だ。しかし、現代だったら本当に友達かどうかなんてSNSを見りゃ分かる。

嘘つきゃ簡単に暴かれる。それだけ沢山の情報がインターネット上にあり、そこに一瞬で到達できる。この一面だけをみても、現代はいわゆる嘘を付けない時代だよな。

だからぼくらの今の時代の仕事の仕方と言えば、正直に嘘隠し無く話す。それが誠意であり姿勢であり、相手と本質的に繋がる方法。少なくともぼくはそう思っている。 そして基本的に周りの取引先やお客さんをみていても、昔の様にハッタリをかましてる様な人は大体年寄りで、完全に時代遅れ感がある。

これを痛烈に感じる理由としては、ぼくの目の前に、父親がいるからだ。父親は典型的に謝らないタイプの人間だ。そしてハッタリをかましてやってきた人だ。 年齢と共に、ハッタリは少なくなり、父親なり現代のお客さんと波長を合わせて努力してやっているのは、偉そうにいうつもりはないが、父親のらしさではある。そしてそうやって時代に合わせながら今までやってきているからか、まだ若々しさはある。それが魅力だと思う。だけど根本的に染み付いてしまっている謝らない体質は、どうやら直らないのかもしれないと感じてる。

恐らくどこかに、”謝ったら負け”という昔からの風潮?文化?の様なモノがあるのか。現代の同年代の奴らでもそういう奴はたまにいるが、そういう奴は見ていて好きになれないし今のぼくは仲良くはなれないと思う。

ちょっとの非を認めることが出来ない、余分なプライドとやらを身に付けてるんだろう。そういう奴が結構近くに何人かいたな。

ぼくは出来るだけ謝る様にしてる。自分でいうのもあれだが、素直であることだけがぼくの取り柄だから。嘘ついたり、間違った場合や迷惑かけた場合は、謝る様にしてるつもりだ。ただ、気づけず謝れなかったことも多々あっただろうと思うが、本当に悪いと思い、自分の非に気付いたら、しっかり謝ってきたと思う。それはこれからも出来るだけ貫いて行きたいと思う。

年齢や性別なんか関係なく、間違ったり迷惑かけたりしたなら、まずは非を認めることから始めないといけないよな。その時にプライドがどうだって言ってちゃ、いけないし、それまでの人間でぼくは終わりたくない。

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