もう少し日記を書く回数を増やそうと思ったのは、書くことによって頭が整理される感覚もあるし、何かの物事について、それが疑問だったり喜怒哀楽だったりまた他のことだったり、たった数十分の”日記を書く”という行為の中で、集中して考えることがあったほうが良いと思ったからだ。
という訳で、ちょっとずつ増やしていこうと思うけど、早速お怒りモードだ。
相変わらずお昼ご飯の時は見たくもないTVが横目に写ってくる。今日は、徹子の部屋にアナウンサーが2人出ていた。しょうもないTシャツを着て、しょうもない番宣をしてるのがすぐ分かって一気に苛立ちの波が押し寄せてきた。
なんでも、初めてテレビドラマに出たらしい。出演時間は短く、たった2行のセリフが全く覚えられず苦労したとか語っていた。実際にそのシーンが流れたが、鬼のように演技が下手くそなのは当然で、さらにはセリフも棒読みなのも当然だ。
そのドラマには大っ嫌いな女優(タレントのほとんど全ての人のことだけど)が出ていたし、その時間がぼくにとっては苦痛でしかなかった。本当にしょうもないことを、彼ら彼女らはいつ気づくのか?もしくはもう一生気づかないのか。
何がしょうもないって、まず、演技の勉強もしてないー、芸事も一切できないのに芸能人呼ばれるタレントやアイドルが、映画やドラマに出てる時点で終わってると思わないか?今回の話のように人気のアナウンサーだからとか、人気芸人だとかで使ったりして。んで、挙げ句の果てには素晴らしい映画やドラマが撮れたと大体の奴らがほざく。奴らなりに本気らしいが。
ハッキリ言ってこれのどこが本気なのか?麻痺ってるのに気づいてないのか?本気で映画やドラマを作ってたら、クソミソな演技もろくに勉強もしてない奴らを使ってる時点で、もう”本気”という土台から外れていることに気づくべきだ。この時点で、どれだけ本気で頑張ったと言っても、作品としてもう終わっている。今回の馬鹿なアナウンサーを出したドラマもとより、ほぼ全ての日本のドラマなんか終わってる。観ないでも分かる。もちろん観る気も無い。
よく映画を観に行って、吹き替えの時も思うけど、まじで下手なタレントとかが、何にも考えずに仕事を受けて、クソみたいな仕事をして映画を台無しにしたりする。奴らはそれを自分で観たり聞いたりして、超恥ずかしいとか思わないのか?二度と声優の仕事は止めようとか。そんな映画にこっちは金を取られる。
以前、自分がもっと若い時は、有名人的なのに憧れた。タレントもその部類だったけど、今では心底、なれなくて本当に良かったとしか思えない。こんな所にいたら、人生を無駄にする。本気で。
手塚治虫の火の鳥が読んでる途中だったからまた読み始めたけど、これこそ本気だわ。まじで人生賭けて書いてるのが分かる。本気という言葉をもっと大事に扱って欲しい。
映画やドラマや音楽やアートやファッションやデザインなどなど、他にももっと全ての物事を、もっと本気で大切にしろ。本気で失礼なことをしているってことに、早く気付け。いくら人気があろうが有名であろうが金や権力を持っていようが、そんなしょうもないことどうでもいい。そんなのに全く価値はない。そんなもんがいくらあったって、死んだら無だ。何も残らない。本気でどうでも良い。もっと本気で考えろ。
ってぼくは奴らに言いたいし、少なくとも手塚は言ってる。つまり、昔っからずっとこの苛立ちって普遍的にあったんだな。今も変わらないってことが、本当に悲しい。
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