アパレル関係の仕事を初めてから、トータルで13年くらいは経つことになる。年齢だと19才くらいの時と今と、時代の変化による現場への影響が全然違うのをふと思い出す。
初めた当時は、そりゃあもうファストファッション時代の絶頂で、恐らくあれはピークだと思われる時だったのかな、安かれ良かれ納期絶対遅れは禁物。こんなバカで最低な環境だった。そのクセに無駄にクオリティに拘る(フリをしてる)企業がものすごい多かった。まあそれを今グダグダ言うつもりはなくて、、言いたいことは、、
例えば生地、ボタン、ネームタグ類などの資材が予定より入荷が遅れたとしても、最終の納期は全く変わらない。そうなると一番尻を叩かれるのはぼくらみたいな工場だ。そして厄介なことに、アパレルメーカーに勤務しているその殆どの奴らが、”全く現場を知らない”ということだ。
どこでどういう工程が踏まれて、一つでも資材がないと現場の作業が止まることとか。当たり前過ぎていちいち書くのもアホらしいが、その当たり前が通じないこともある。あと例えば、設計されたパターンや縫製の指示が書かれた仕様書に、しっかりと明確に指示が書かれていないと、確認してからじゃないと先に進めない。びっくりすることに、たかがちっさな確認をする為だけに1日も2日も時間を要することもある。場合によっちゃもっと掛かってたことも確かあったと思う。
すると、何が起きるか?工場の全ての予定が一気に狂う。全て予定がだ。 じゃあその「返事を待ってた数時間〜数日」は、お金を生むか?生まないよな?バカでも分かるよな。だって何も物事が進まないんだから、電気代や人件費だけがかさむ。保証もしてくれない。当然だけど。
それでも納期が変わらない。単価が変わらない。それが縫製工場の立場だ。
と、いうことを前提にしておいて書いていくが、昔あるおバカさんが言っていたが、現場を知らない方が自由なことや発想が出来るから良いよなー。なんて。 10代の時のぼくなんかは、確かになー、自由な発想とか現場に無理な要求をさせてそれを達成するのがデザイナーだもんなー。なんてトボけたことを思っていたこともあった。思わされていたというか。 要するに、全く現場を知らないからこそ→好き勝手なことが言える。変に知識があったら無理を言えなくなる。と、おバカさんは言いたいんだろうけど、ハッキリとそれは違う。
ぼくもそろそろ何気にこの仕事で10年以上の歳月が立ち、振り返ったらそれなりにいろんな場面を経験してきている。工場の作業を主として、生産という立場での流通の過程、直接店頭に立つ販売現場、自らで商品を企画してみること。振り返ってみると結構いろんなことをやってる。
そのどれもが、やればやるほど、その現場では何が行われていて、どんなことが重要とされていて、何を要求される場所なのか。そしてそれぞれの場面での声ってのがあったり、そういった全ての工程を経て、ようやくモノができる。
知ってるからこそ、どうすることが一番いいことなのかを、選択して行くことが出来る。知らないからなんでも言えるなんて考えは全くの見当はずれだ。金を払えばなでもやってくれるなんて考えも全く同じで、論外だ。
少しでもいいから一通り携わることで、かなりいろんなことを知れた。 色々知ってることで、物事をもっと深く追求することも出来るし、相手に対してしっかりとした要求も出来る。それでより、クオリティが上がる。もちろん反対に追求されるという責任感も同時に感じる。でも、その追求こそが物作りの重要な要素の一つだと思う。多くを知っていたり経験、体験していることは非常に重要ということだ。シンプルだ。
現場をろくに見ないで、日にちや時間など、いわゆる数字だけで物事を机上の空論で決めるという本当にバカげたことが(ITは特にそれが強いから大嫌い)、一番権力を持っていた。今でもそうだと思ってる人は沢山いるだろうが。
ファストファッション全盛期の時は本当にこうしたクズが多かった。とにかく本当にそれが一番正しくて正論だと、疑うことなく思い込んでるクズが沢山いた。
今ではそんな人の言ってることにぼくは愚か、耳を貸す人は少なくなったと思う。平成は軽佻浮薄の時代だとある人が言っていたけど、年号で決めるのは好きじゃないけど、確かにそんな時代だったな。
これからは本当に正しいことを見極める時代というか、まぁ時代関係なく本当に正しいことはいつもそこにあるはずで、ぼくはその普遍的な正しいことを軸として生きていたいと言うこと。
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