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「532」ある休みの日に

「日は正しい」それは、ぼくがたまーにゆっくりしに行く、岐阜市内から車で40分強の山奥に、ひっそりとあるカフェの名前の由来だ。あまり人に教えたくないから正式名称は書かない。書きたくない。

最近は読み返している本があって、その日は休日だったから昼過ぎからそのカフェに行って、ゆっくり本を読むつもりだった。

確か十年くらい前かもうちょっと前か、母親とはじめて行った時から、ごくたまーにのペースで行っていて、いつもそのカフェに行ったら平気で2時間とか3時間とか居座ってしまう。冬になったら暖炉で炊いた薪がすごい暖かくて、ついゆっくりしてしまう。

最近は個人的には残念なことに、お客さんが大分増えてしまって、暖炉横に飾られた絵画、古い生活道具、グランドピアノ、厚みのある絨毯とか展示されている作家たちの作品に、見上げると首が痛くなるほどの高い天井。一番好きなのは毎回行く度にテーブルと椅子の種類や並べられ方が必ず変わっているところ。行く度に違って毎回新鮮だ。数年前みたいにあの建物の素晴らしい雰囲気を独り占めとまでは出来なくなったのが残念だ。作りは相変わらず良い。最高だ。まあこれは余談で、、、

マスターは70代の男性で白髪頭が似合うスゴイダンディーな人だ。 数年前くらいから、ようやくぼくの事を認識してくれて、久しぶりに顔を出すと、随分久しぶりやねー元気やった?と声をかけてくれる様になった。と、言う事で、ゆっくり本を読めたのは30〜40分くらいで、そこからはマスターとゆっくり話し込んだりした。

敷地の入り口に、いつも変わる変わるでレトロな車が停まっていたけど、今回はベンツのスマートって言う小さい車に変わっていた。かわいいなーって話をしていたら、乗ってみる?と言われたのでもちろんと言って、他のお客さんがいなくなるのを見計らって二人で軽くドライブ。欲しかったら30万で売ってあげるよなんて言われてまじで迷ったけどぼくには他に使うのお金があるから、迷ったまま話を上手く流したつもりだ。

そんな関係になったのは嬉しいことだけど、でも、ぼくはこのマスターにいつも感じることがある。確か結婚もしていたと思うし、確か子供もいたんじゃないかなって思う。だけどほとんどその話が出てこない。まぁしたくないのかもしれないけど、きっと想像するに、そんなに上手くは言ってないんだろうなぁと。。勝手だけど、なんとなくそんな気がする。

昔はサラリーマンをやってて、脱サラか定年退職し、それからやりたい事をやってるって言っていたのもちょっと覚えているし、自分のやりたいことに熱中していて随分楽しそうだけど、ほんのちょっとだけ寂しさが伝わる。良し悪しの話じゃなく、ただそう感じるだけだ。

自分もある種そうだから、なんとなく分かるというか。例えば周りに反対されても、まあまあと聞き流して、結局やりたいことをやってしまう。それを上手くできる人もいるけど、きっと不器用なんだろうなって思う。自分に対して特に。

だから「日が正しい」と言うこの”日”って、お日様の事を言っているけど、でもそもそも”陽”って、”心”っていうメタファーとかなんじゃないかなと思う。 つまり、自分の心が一番正しいというか。

窓際に座って、夕陽が沈む様子を見ているマスターの横顔から、そんな背景を感じた。勝手にね。

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