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「531」ここ数日は

先日の打ち合わせは、余りにも一人で突っ走っていた感があって、大事な大事な何よりも大事な打ち合わせを不甲斐なく終わらせてしまったことで、ここ数日はずっと考えを改めていた。

なんていうか頭デッカチで、きっとぼくが向こうの立場だったら、このガキはなに調子のいいこと言ってんだ!?なんて思われてもおかしくなかっただろう。沈黙の多い打ち合わせになってしまった。そう感じていたのは自分だけだったのかな?と思わせてくれるようなアフターフォローの様なメールの返事が、やけに身に沁みる。

毎回、この大事な一大イベントがあると、ぼくは必ず親友に電話する。打ち合わせを終えたあと直ぐに結果や感触を、忘れないうちに、まだまとまった言葉にならない内に電話をしている。しかし今回は打ち合わせのあと、ちょっと街を歩いた。途方無く歩くってまさにあの感じかと、上手い言葉があるもんだと思えるくらい、途方無く歩いた。

親友も言ってたけど、人間は複雑に考えたがる、複雑にする生き物だということを言っていたし、誰かも言ってたけど正に今回のぼくに当てはまった。 そもそもシンプルで、単純で、思い立ったら真っ直ぐ行動するぼくには”頭で考え過ぎる”ことは似つかわしくない。今一度、それが自分であることを親友という自分を映しだす鏡によって改めて認識した次第だ。

ショッピングモールの3階にある映画館、の向かいにあるコーヒー屋さんがやけに落ち着くんだけど、そこで親友と話をした。というか聞いてもらった。実はその親友も、そのコーヒー屋さんが結構気に入っていたみたいだ。コーヒーが、とか、そのチェーン店が、とかじゃなくって、なんかあの場所の、あの作りの、あの感じが好きだというのはお互い一致していて気持ち悪く感じるが、ものすごいよく分かる。

数時間話したことによって、頭に溜まってた毒素の様なものがスッと消えて、デトックスされた様なスッキリ感がある。

週に1〜2回のジムで話す時間、2週に1回くらいのペースで観に行く映画の道中の時間、たまに電話で話す時間。かれこれそんなことを何年も続けていて、家族や恋人以上に本気で話し込んでる相手であるからこそ、お互いの言ってる言葉の意味がようやく分かるわけだ。それでもしっかり説明しないとその言葉の真意が分からなかったりするくらいだ。

一つの考えから始まった思考の種が、気付いた時には芽が出て、少し目を話していたら物凄い勢いで成長していた。知らない内に木となり、林となって、森となっていた。その森を一度俯瞰して、種を植えた場所をもう一度探して、そこから順を追って整理していくこと。

それくらい貴重な経験と時間をぼくは過ごしている。 ぼくはこういうことを総称して、幸せと呼ぶ。生きていることを実感するからだろうか。

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