「529」制度、社会、ノモスとフィシス
- 山田 雅樹
- 2019年10月29日
- 読了時間: 3分
単刀直入に言えば、ぼくはやっぱり離婚して良かったなと思っている。
実際街を歩いていて、いや、街をそんな歩かないか、近所のイオンとかいう無駄にでっかいショッピングモールにちょっと買い物しに行ったりすれば、必ず小さい子供1,2人を連れた家族連れをみる。その光景を求めていなくても見る。 日曜の昼間にいつも行ってるジムに汗を流しに行ったら、恐らく子供をプールに入会させようとして来ていた親子連れを見た。 犬を公園に散歩に連れて行ったら、分かりやすく穏やかな休日を過ごしているTHE・若い家族連れをみる。
それを、人は一般的に幸せとかいうみたいだが、そのどれを見ても、ぼくは一切幸せそうに感じない。それに大体のお父さんの顔を見てみれば分かるが、かなりつまらなそうにしている。
ジムに子供を入会させようとしてる家族のお父さんは、多分30代後半〜40代前半くらいの人で、子供は小学2、3年生。お母さんは真剣に受付の人の話を聞いていたけど、そのお父さんときたら、無表情で、全く別の方を見て、生気を失った青白い顔をしているように見えた。というかそういう顔をしていた。
もし、ぼくが本当の事実を知らないで、当時のあのまま、結婚生活に全てを捧げ、いわゆるしっかりした旦那であり親を続けていたらと考えたら、正直ゾッとする。責任感の有無を問われても仕方がないし、何も言うことはない。
ある人のエッセイを読んでいて面白かったのは、結婚なんてただの制度だと。 ある人が話していた概念を聞いて面白かったのは、社会の中と外があること。 ある人の対談を聞いていて面白かったのは、ノモス(人為)があり、フィシス(自然)があること。何故面白いかって言うと、理由は簡単で、全て真実だからだ。
こうした事実があるにも関わらず、人が作った社会の中の制度で、ノモスに支配された完全に不確かな世界で、それが全く間違っていなくて、あたかも正解や当然の様に生きていくことなんてぼくには絶対に出来ない。そもそもそういうことが出来ないから結婚もうまく行かないと腑に落ちた。だって本当にそんな社会の制度、どうだっていいし本当の実態は一切ないからな。何度も言うが、そんなの全て虚構だ。
本質は生命体であること。それを理解した上で生きること。前提としてそれがあって、初めて「ああ、この地球というものは、制度ってのがあるんだな」と思えばいい。そう考えたら、制度なんかバカらしくなる。
結婚式とかいうよくわからない儀式を行い、子供の写真を撮るのに、無駄に高い写真館を予約し記念写真を取ったり、信仰もしていない神社へ何故かお参りにいく。これって一体何なんだ?真剣に考えたらさっぱり分からんぞ。こないだやってた天皇の即位の儀式みたいなもんで、たぶんすっごい昔から続いてるんだろうけど、それは明らかに実態がない事象。いや、TVで放送されてる実態とかじゃなくて、この地球というものの中の、一生命体の個体として考えたら分かるけど、そんなこと全く本質じゃない。本当の本当に虚構でしかない。
てかこれってみんな気づかないのか?
もっと掘り探ったら、そもそも国、国籍、住所、氏名とか、これも全て虚構。その中には更に地位、権力、名誉、お金、宗教、政治などの得体の知れないものが存在し、憲法や法律という名のもとで、よく分からない資格を持った人に裁かれ、善悪を決められる。だからこそ、ぼくは世の中がデタラメだということに気づいた。
つまり、幸せという言葉を使うとすれば、ぼく個人としての幸せというものは、そういったモノの中にはないということだ。それを知ってしまったから。だから離婚していて良かったと思ったのだ。
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