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「524」イントゥ・ザ・リアル

街は無駄にネオンの明かりを煌々と灯し、至るところに看板があり広告がある。電車に乗っても電子広告が止むことなく流れ続け、中刷りも所狭しと吊るしてある。 実際に都会なんかの街を歩いたり、電車に乗ったりして思うことは、いかにこの世の中というものは広告に侵食されているかと言うことだ。

現実から仮想空間まで、何から何まであらゆることが全て広告で成り立っている。 TVなんかもそう、スポンサーという広告主によって全て支配されている。

それはそうと、こうした現象が、自分のスマホの中まで入り込んできているのにふと気づく。何気なくスマホに目をやれば、そこは沢山のアプリで埋め尽くされ、そのアプリの殆どに広告が張り巡らされている。SNSを開けば投稿の間に入っていたり、サファリを開けば、以前Amazonで見ていた商品がなぜか全く関係のない別のページにまでぼくを追跡してきている。(いや、そういう広告主側の設定があるのは当然知ってるけど)

そういう広告が、いかに自分にストレスを与えているか。

そして広告だけならともかく、ひどい情報があふれ過ぎている。 ニュースのアプリでは、芸能人とかいう偽物のような人たちの恋愛事情やレベルの低いドラマや映画の情報。どうでもいい。ぼくが見たいのは洋画だ。 ビジネスニュース的なアプリなら、クリエイターとか自分で言ってる、何にもクリエイトしてないただの低俗なクリエイター風なただのビジネスマンが偉そうに間違ったことを言っていて、それが正しいかのように崇め群がる低レベルなビジネスマン予備軍の視聴者たち。この手のタイプの奴らをぼくは本当に嫌いだと言い切れる。 あとSNSを開けば、俺や私のことを見てくれー!!と、若手芸人ばりに前に出てる奴ら。どうでもいい彼らの私生活が無作為に垂れ流しにされ、しょうもない休日のストーリーが滝のように流れている。いいね以外に悪いねがあれば是非とも全員に連打して押してやりたくなる。フォロワーの数とかいいねの数とか再生回数とか、全て数字でしかないんだよ奴らは。虚構だよそれは。

こうやって、本来なら「自分のスマホ」であるにも関わらず、全く別の奴の情報ばっかりに侵食されていることにどんどん気づく。こういうことが積み重なって、SNSには全く本質がないと思いやめたんだ。本当に本質はないと思う。本当に。

こうした間違った社会の中の日常から抜け出すべく、最近どんどんいろんなアプリを消している。”ぼくの瞳”で見た世界の真理をしっかりとリアルで見ていたいと心底思っているから。これは最近ふと思ったことだけど、ある種この行動は映画「イントゥザワイルド」にどこか似ているなと。完全に余談だけど。

そう思っていた時に、親友といつものように長時間話してたら、彼も同じようにSNSは全て退会して、もうLINEさえも辞めようという始末だった。その気持ち非常によく分かる。ただ悔しいことにLINEは唯一連絡手段として仕事やなんかで使いまくってるから流石にぼくはまだ辞めれないけど。。

でも、親友と話していて合致してるなと思ったのは、この行動が、本来あるべき姿なはずだと。情報については、基本的にどこの誰から流されたものかもわからない、真実味を帯びていない&低レベルな情報なんかを、ただただ鵜呑みにしてちゃいけないし、それに上で書いたように本当に心底どうでもいい情報を見るのに時間を割くことがいかに馬鹿げたことか。「ふとスマホを見てしまうのがいやだ。それならふと村上龍の本を読んでた方が良い」と親友は言っていたが「その通り」としか言い様がない。すなわち情報は、これからはしっかりと自分の審美眼を使って、自分自身で取りに行くものだと。調べたいことは自分で調べるのが一番いい。それに尽きる。

世の中で起きてることのほとんどは、本当のリアルじゃない。

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