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「519」決断と選択とコミュニティ

かねてよりSNSをやらない宣言してから随分時間が経っていて、インスタはしっかり辞めた。そしてようやくその大元(諸悪の根源)となるfacebookにもぼくのメスが入り始めている。

ただfacebookは厄介なことに、会社とかお店の時のfacebookページを持っていたから、それを削除しようとしたけど、削除申請してから14日後に正式に削除されるらしい。その削除をしっかりと自分の目で見届けてから正式に個人の方も辞めることにする。削除申請はした。(いやいやそんな言い訳はみっともないぞ。と、もう1人のぼくは言っている)

と、まあそれは置いておいて、これはいわゆる決断するということに値する。 「断つことを決める」と書いて決断。そうやって漢字を分解して意味を考えれば尚更、「決断」と「選択」の決定的な違いが表れている。選択も一見、どこか決断の様に聞こえるしそう見えるがちょっと違う。いや全然違う。選択とは選択肢がある中からどれかを”選ぶ”というもの。決断とは、一つの事象を全く断ち切ること。

この二つは似て非なるもので、これまでの人生においてかなり混同してきていたけど、混同してしまうのはいささか勿体無いと感じる。

ぼくの中でのSNSにおいての決断とは、一種のコミュニティと関係を断つことだ。アカウントだけ残しておくという選択を今までしてきたけど、チラチラ見ていても仕方がない。全て削除することをもう決断した。このご時世でコミュニティとの関係を断つなんてことは、基本的になんで?と周りから聞かれるけど、じゃあ貴方はなんでやってるの?と、ぼくは質問者に逆に聞きたい。ぼくにとっては辞める理由より、続けている理由の方がよっぽど無い。ただ前提として、SNSに全く興味なくてやっていない人もいることは知っている。その人は一旦蚊帳の外へおいておいて。

そもそも考えてみると、社会とは人間が作ったものだから、コミュニティってのは社会との接点であることは確かだ。人と人の間と書いて人間と読む。つまり、人(ひと)単体ではただの動物であるけど「関係」があるからこそ、そこにいろんな感情だの問題だの価値観だのが生まれる。すなわちモラルというものが。それが人間というものだと。(これはよく親友と話している)

だとしたらそこからもっと考えてみたいのは、現代のコミュニティの主流がSNSというだけで、人間というのはもっとリアルなコミュニティをもともと持っている。それは近所の人や会社の人、学校や取引先の人とか。もちろん恋人や家族だってコミュニティだ。コミュニティなんて一歩外に出ればいくらでもある。そっちの方が普遍的だと思うのが当然で、ぼくからしたらSNSというのは単なる”流行り”に等しい。これからもっと時代が経つにつれて、当然新しいコミュニティやそのあり方は増えてくると思うけれど、そうなれば今より一層、リアルな対面の方が価値を増す。必ずそうだと思う。

つまりぼくは、その流行りのコミュニティを断つだけであり、実質的な、本質的なコミュニティから外れた訳じゃ無い。むしろ本質的なコミュニティのあり方というものを、SNSに夢中になってる人よりも理解していると思う。

今、目まぐるしく目に見える景色が変わっているぼくには、こうした一過性のものへの根本的な見直し、つまり今まで何となく続けてきてしまった何かを”断つ”ことが非常に重要だと実感している。だからいろいろと決断をしている。決して選択しているんじゃない。何度も書いているけど明らかに次元が変わった。

ちなみに、もともとこのHPには日記以外で「96%に日本人はメイドインジャパンを知らない」というカテゴリーが存在したけど、それもちょうど先日辞めた。辞める決断をした。

つまりそこからの流入を一切無くした。ぼくにはその導線はもう必要ない。つまりそれは誰でも書ける様な当たり前のことだし、そんなことはどっかで誰かが書けばいい。そうやってそこで”やってる風”なたわ言を言っていればいい。ぼくはもうやってる風な事なんかやってちゃいけないから。

ぼくがぼくとしてやる事を決める。ぼくとしてやらないことは断つ。 内なるぼくは、こうした本質的な決断を望んでいて、選択の余地はない。

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