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「518」父親が堪えた涙の訳

この日記で常々書いている、ぼくが今進めている新事業のことで、以前にも増して大きく事が動き始めている。

3年前のちょうど今頃は、ぼくがお店を閉めてすぐの時だった。ぼくは次何をしたらいいのか?どんなことがしたいのか?ずっと探り始めた時だった。 それから半年後、素晴らしいデザイナーの方と巡り合った。それから1年後、初めてそのデザイナーさんに製品を見せた。そしてさらに1年後、改良を重ねて出来た製品を見せた。そこから半年後、今年の5月ころ、最終的に仕上がった製品を見せた。

その間に、父親の心境の変化をぼくは感じている。 始めはその新しい事業は大丈夫か?という疑心暗鬼な表情。 素晴らしいデザイナーさんと会った時は、でもまだまだ何も始まっていないぞ?という表情。1年後、製品を見せて、デザイナーさんが驚いてくれたことを報告した時はLINEだったけど、かなり喜んでいたのが分かる。さらに1年後、改良を重ねた製品を見せてまだ驚いてくれた事を伝えた時から、父親もやっと本腰が入ってきた。 そして今年の5月、出来上がった製品を見せて、ついこないだの8月、デザイナーさんが着る用の製品を渡して来た時、今までにない驚きをしてくれた事を伝えた。 そして今日、そのデザイン事務所の方々が実際に工場に来てくれて、デザイナーさん達と直接名刺交換をした時に父は、目に涙が浮かんでいた。それを隠すかの様に、飲み物を自分で注ぎながら、商談のテーブルについた。

今までぼくが、いやぼくらが作ってきた製品が、本当に伝わって欲しい人達に伝わってくれたことが、ようやく証明できた。ぼくはずっとその張本人として、その事の進行具合を観てきたし感じてきたし、何よりも一番この事実を父親に伝えたかった。

それが現実として父親の目の前に現れた時の涙だ。

疑心暗鬼から始まり、非現実だったことが、やがて現実味を帯びてきて、そしてついにそれが目の前に現れた時、本当にこんなことが起こってたんだという事実に、きっと父親なりに実感が湧いて、少なからず父親もぼくの事をようやく認めてくれたんだなって感じた瞬間の涙だ。認めざるを得ない事実に、ぼくは漕ぎ着けた。

だけど父親のその涙を見ても、ぼくは泣かない。ぼくは何度も1人で涙を堪えてきた。嬉しいことも悔しいことも、全部堪えたし、バカヤローって何度も叫んだ。決して誰にも見せない様に。物凄い苛立ちや憤りを、この3年間目一杯感じてきた。それだけぼくは本気でやってる。人生をかけて本気でやってる。だからもう、泣けない。だってもっともっとこれから180度がらりと変わる世界がやってくるのを知ってるから、今は泣いちゃいられない。グラデーションの様に景色が変わっていくのをぼくは目の前で見ていて感じている。父親はその色の境目をあまり見ていなくて、パッと色がいきなり変わった様に感じてると思う。だからこそ一気にこみ上げる物があるんだ。ぼくが色の変わり目を何度も見ている。そういう涙でもある。

そしてぼくはただ、家族が今までやってきた工場が、世間に証明されることだけを信じてる。その可能性だけを信じていて、何よりもぼくは今のぼくを信じてる。だからこそ、今は泣いちゃいられない。

父親が、感情が込み上がってきて涙ぐんでくれたこと、その事実はぼくの胸にしっかり刻んで、さらにこれから忙しくなることに準備もしなくちゃいけない。決して泣いていられない。

これがぼくの作っている製品だ。いわゆるこれが、爆発だ。

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