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「517」突然のメール

この日記は決して誰か人の為に書いていなくて、読者がいようがいまいが、あくまでも自分の裁量で書いているし、日記をつけることで内なる自分を見つめることが出来という目的で書いている。書き手=ぼく、読み手=ぼく。2つの側面から自分を観ている感じだ。

しかしひょんなことに、友達の姉ちゃんのお友達と思われる人からわざわざメールをもらった。言ってみれば親戚の叔父さんの妹的な、遠くもなく近くもない、なんとも微妙な距離感の人だ。ぼくの会社のリンクまでたどり着いて、そこから会社のお問い合わせの方にわざわざメールをくれていた。

そのまま素直にメールを折り返しても面白くないと思ったから日記にそのことを書いておこうと思った。こんなドロドロした1人の人間の下品な日記を観てわざわざ観想まで送ってもらい逆にありがとうございます。この日記が少しでも面白いと思ったあなたも、きっと世間への不満が溜まっているんだろうと勝手に推測しておきます。

ある種この日記って表現の自由ってこととも言える。ぼくは、若手芸人の様に自ら手をあげて俺の話を聞いてくれ!!なんてことはしていないけど、インターネットの中にこの日記がしっかりと記録として残っているから、表現の一部なんだろうと思う。言いたいことを好き勝手言ってるから。それを観てる人もいるぐらいだから。でもあくまでもぼくは自分の為だけに書いているから、

これについて、近いことで言えば話題になっている表現の不自由展に世の中で散々いろんなことが言われてるが、ぼくが一番しっくりきた回答は、とある社会学者の回答だ。「今回の問題は3つに分けられる。⑴賛否両論は市民が自由にすればいい。それだけ。⑵テロや脅しに屈しない様に警察がしっかりすればしろ。当たり前。⑶ここが一番の問題だけど、パブリックアートとアートの違いを分かっていない。」と、いうことだった。

要するに、まず第一にぼくはこのブログで広告収入とかパブリックと絡んでもいないから、第三者の圧力も権力も何もないから従来通り自分の為の日記として自由気ままに書いていくことは変わりない。すなわち、この日記に対しての否定なんて一切認めないし聞かない。

もっと言えば、ブログ自体をもう日記だけにしようと思う。96%の〜とかいう方は、今の自分にとっては全く興味がないし面白くもなんともない、誰でも言える様なことが書いてるからやってる意味がなくなってきた。つまり、今の世の中の人が興味あることをぼくがやってもそれはただの流行りものでしかないから全くつまらない。だから近日中にやめようと思っている。それに、そっちからのアクセスが多いから、そういうマスの受け皿になる様なことはしたくない。

ぼくは、もっと小さく小さくひっそりとやっていきたい。あくまでも自分の為だけにやってることだから。せっかくなら、この日記に書いてる様なことが反映された服が今後できるのだから、そっちを観て欲しい。

きっと、分かる人が観たら衝撃を受ける様な服だから。

 
 
 

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