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「509」自分が今死んだら

そう考えることはたまにある。もちろんまだそうなりたくないし、成し遂げていないモノコトやこれから出会うべきモノコトに出会いたい。

しかし、基本的に何歳まで生きようがどうあがいても、人間が100%死ぬ事は決まっている。未来はどうか分からないけど現代の技術とかテクノロジーでは不可能だ。

ということは、やっぱりいつ死ぬか分からない。最近では地震、台風、津波などの自力ではどうしようもない自然災害に遭ってしまったりすることだって沢山ある。見ていて本当に人間の無力さを痛感する。電気や水や食べ物がないと生きていけないし、いつも使ってる自分の布団や住まいだってないとどうかしてしまう。本当に普通に生活していることが当たり前じゃないと感じる。と言いながらも、災害対策していなかったり、すごい矛盾してるなとつくづく思うけど。

そうこう考えてると、今自分が死んだ時、何をメッセージとして残せるのか。大体の事務的な重要なことはスマホかPCのパスワードさえ分かればほとんどの情報が残っているからそれを家族に伝えておこうとか。そういうことも考える。

他には、今一番ホットな自分の出来事としては、新しい事業に関して。これは正直、ぼくじゃないとどうにも進まないと思う。だから継続させていくことは出来ないとしても、現在までに出来た渾身の作品を、どうにか世の中に出したい。これだけは何がなんでも出したい。

自分が生きてきた中で一番最大の、一番膨大なぼくの生き様が入っている。この日記で普段いろんな事を書いてるけど、それはごくごく一部でしかなく、そんな小さなピースが沢山合わさったのが今完成した服だ。

いつ死んでも良いとは言えないし言いたくないが、せめてそれだけ、それだけは必ず、最もその作品が素晴らしいとされる形で世の中に出したい。当然、人がこの世に生まれ、そこから生きることに意味や理由はないが、この服だけは、意味や理由、意思や思想や哲学、ぼくが生きてきた中で詰め込めれるだけのものを詰めたと言える。これほど自分で深い納得をして作ったものは今までに一度もない。きっとぼくがぼくじゃなく他の人だとして、この服を作られたら、尋常じゃない喪失感をもたらされると思う。それだけ、ぼく自身が納得している服だ。

自分が今死んだら、なんとかその服の発表までで良いからやって欲しい。その先事業としてやれなくていいから。面倒かける分、少しでも稼いげたら手伝ってくれた人の為に使って欲しい。ぼくはとにかく発表だけして欲しい。それ以上他には何も望まない。残してきた過去の思い出や未来の希望を絶たれても死んでしまったら何も文句は言えないし言わない。お墓もましてや葬式なんてやらなくて良い。いろんな人を呼ばなくて良い。そんな勿体無い費用を使うなら、とにかく、死に方によるけど死亡保険金が多少出ると思うから、その資金でぼくの大切な服を最大限の要素を使い切って発表をしてほしい。自分が今死んだら、それを臨む。

ぼくの本質的にはこうやって未来の希望があるからこそ、ぼくってのは生きてられるんだなと思わされる。

物事はいつも表裏一体で、こうして”もしも今死んだら”ということを考えることで正反対の”もしも今生きていたら”という問いになってくる。

ぼくがぼくとして生きているってことは、ぼくだからこその事をやる以外ないという事だ。

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