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「500」カテゴライズ、ツマラナイッス

カテゴライズがいかにつまらないものか改めて書きたくなったのは、やっぱりみんなその中で生きてるんだなーって、いろんな人と会っても大体思ってしまうからだ。

アパレルやファッションだと特にそういうのが分かりやすくて、世の中にいろんなジャンルのスタイルが存在していて、じゃあ自分達のブランドはこのジャンルだ!と決めていたりする。 そもそも、ブランドを作る過程で自分達のホームポジションを設定したりするのが当然とされていて、自分達は価格帯的にはハイブランドと中層ブランドの間に位置していて、ファッション性としてはモードとストリートとハイファッションを足したもので、客層は何歳〜何歳くらいをターゲットとした…はい、そうですか、もういいです。と心の中で思っている。全部どこかに線引きをして、その線引きによって区別しようとしてる。

それはつまり、ファッションとか音楽とか写真とか漫画とかそういうモノの中にちゃんと位置してないといけないのか?収まっていないとダメなんか? 〇〇県〇〇市〇〇町〇〇番地〇〇マンション〇〇階っていう風に、ちゃんと住所を持っていないとそれは即ち国民でないと認識されるようなシステム的なものと一緒なのか?

いやいやそうじゃなくて、そういうモノの以前にあなたはだれであなたはなにをやるの?そこにどんな思想があってどんな生き様でありたいか。ぼくはそれをただ聞きたいだけで。住所のことで言えば、べつに地球に普通に存在している人間だ。それでは満足できないってか。

「そういえばあれから新しくやるブランドはどうなったんですか?」ってよくいろんな人に聞かれるけどぼくは、ブランドとかファッションじゃなくて服を作っていて。。と言ってもあまり伝わらない。ブランドとかファッションとかの括りじゃないんだとそうやって遠回しに言ってもやっぱりピンとこない。つまりそう言うことについて考えたことはない人ほどピンとこない。だからいちいち細かく説明はしない。

でも「服」ってカテゴライズされてるじゃんって思った人もいるかもしれないけど、それは全く違って浅はかで、ちょっとだけ触れるとするなら、結局どんな物作りでも行き着くところは一つだと思っていてその中でぼくが選んだのが服だったというだけだ。

仮にぼくがこのぼくのままで、とある農家に生まれてとしたら、そこで”ぼくがぼくとして”生き様を表現できると感じたならば、農作物を作ってたと思う。つまりそういうこと。

こうやって言うと、じゃあ服じゃなくてもなんでもいいんだって言う骨の髄までバカな奴がいると思うけど、そんな奴はもう置いてけぼりにしておいて。ぼくがぼくとしてこの場所に生まれて、ぼくとして生きる中で見出したのが服であり、生き様を投影できるのが服なんだから、服に対して好きとかそんなクソ緩いもんじゃない。愛とかでもない。愛の定義によるかもしれないけど。

なんだかんだ説明しないって言っておいて結構本質を書いてしまったけど、分かってもらおうがそうじゃなくてもどっちでもよくて、こうやって俯瞰してみるとカテゴライズがいかにつまらないということを自分でも再認識できた。

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