最近、あるコラムニストがパーソナリティを務めるラジオにハマっていて、過去のアーカイブを聴きまくっている。その中で、視聴者からの相談に乗るコーナーがあって(まだこのコーナーしか聴いていないけど)そこでのコラムニストの読解力にはなるほど!っと思わされる。
というのも、そもそもそのコーナーではメールなどで相談が寄せられてくるから、基本的に相手の容姿はもちろん性格なんて細かく分かるわけではない。その少ない情報の中で相談に乗るというのは結構至難の業というか、人生力ならぬ人間力的なものを試されると思う。過去の自分の経験や、周りにいる人の経験談を聴いてきたりしたことを頼りに相談者の真意を探っていかなきゃいけないから。
基本的に自分がそれだけ豊富な経験を積んでいないと簡単ではないのは聴いていて分かる。
そういう中でこのパーソナリティが発揮するのは、送られてくるメールの文章の端々から顔を覗かせている相談者の深層心理を読み解く力。これが優れていると思うのだ。
この人の読解力って、本を読んできたことは勿論、相当自分の文章とも向き合ってきたことが分かる。どういう心理の時にその言葉が出るのか。きっとこの人の本は面白いんだろうと思うので買おうと思っている。
こういう読解力こそ、自分たちには非常に必要なんだと思わされる。 というのもこれほどネットが普及してて、誰もがその場で思ったことを呟いたり、文章として発信することができるけど、そもそもこの読解力を持ち合わせていない人が、ぼく含め視聴者読者には多すぎて、結局ツイッターなんか見てたら、本当分かってないなーって奴が山ほどいる。
これまでぼくらが義務教育で習ってきた道徳や国語がどれほどお粗末なモノだったかを思い知らされるのが最近だ。昔を思い出すと、国語か道徳?とのテストなんかで、なんかよく分からん昔話的なモノついて、例えば、この時の主人公はどういう気持ちだったか?という問いがあったと思うけど、、(問いの内容はめっちゃ例えばで…)
いやいや、今思い返せばそんなのにまず答えなんかあるのか?と純粋に思うのだ。そもそもどう捉えるかは受けての感じ方に委ねられるし、勿論作者の意図や感情などはあったかも知れないがそれを最終的に教えて貰ったことは一度もなかったし、答えるにもあくまで想像にすぎない。さらにその想像とは経験や環境や知識などによって個々が持ってるモノはバラバラで不十分であったりするに決まっている。当然、怒ってると答える人もいるし、喜んでいたという答えだってあると思う。
それを正解か不正解かにバシッと分けてしまう日本の教育ヤバイって。もしくは三角って何?先生に真意を問いたいもんだ。
まぁここで教育システムをどうこう言ってもしょうがないけど、だからこそ多数派の意見が正しいなんていう危ない風潮?習慣?のようなモンモンとした”モノ”が存在するんだと思う。
要するに、読解力って多角的な視点を持っていないと、文章や言葉のその奥に潜んでいる深層心理には辿り着けないもんだろうな。 だからそもそも、読者や視聴者である自分も、もっともっとその言葉や文章の意味ってなんだろう?なんでこの言葉を使ってるのか?この言葉や漢字ってそもそもどんな意味だったか?みたいに「なんで?」を繰り返し自分に問いてみるという筋トレが必要なんだろうと思う。
物作りに似ている。
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