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「446」辞めること

やっとインスタのアカウントを完全に削除した。ここ2〜3年は一切投稿せず、フォローしてるのをたまに見る程度だったけど、なんかそんなことにも嫌気がさしてきて、ようやくアカウントを削除した。これで見れないし見る必要がない。つまり、今までの様に片足突っ込んでやってないフリをしてるんじゃなくて、完全におさらばした。

なんでやらないのか?と聞かれたことは何度かあったけど、説明しても理解されないし、しっかり時間をかけて説明しないと分からないと思って尋ねられてもこれまではいちいち理由をしっかり言ってこなかった。けど実は元から明確な理由はある。

インスタやってた当時の自分も含めなんにも分かっちゃいなかった。 というのも、ハッキリ言ってインスタに本質は無いと思う。多くの人の様にただ何も考えずにやれば別にそれでいいんだろうけど。ぼくとしてはやっていると危ないなという危機感を感じたから。

そもそも、いいねとかフォローとか閲覧数とか、全ては数字に気を取られてしまうようになっちゃあ終わりだと思う。そういうコンテンツは結局は数字だけの世界の中で終わるとぼくは思う。自分がお店をしてた頃なんか分かりやすくて、数字ばかり気にしていて、いいねの数やストーリーで誰が閲覧してるかとか、フォロワーは何人居て、フォローしてる人数とのバランスはどうだとか。何曜日の何時に投稿するのが一番反響があるとか。ある種そう言う尺度の中で物事を測っていたと思うし、そういう世界の中でしか生きていなかった。結局マーケティングとか数字とかいう物の中でしか生きていないことに気づいた。数字を追えばその先は必ず一つのところに繋がる。それはつまり、社会が作った物の中に自分の人生の重きをどんどんおいてしまっいくということで、その中で生きてしまっているということ。

つまり、インスタは虚構だと思う。

(あと本気で疑問に思うのはインスタグラマーの一体何がいいのかさっぱり分からない。ぼくにとってはある種アバターの様な物にしか見えない。それにfacebookになってから広告がやたら多いし。とある人が「インターネットが進めば進むほど、握手の価値が高くなる」と言ってたのがよく分かる。実際ぼくがインスタグラマー的な人と会っても一切惹かれることは無いのが分かる。事実インスタ上で見ているのでさえ嫌気がさしてきていたから。)

本質はいつも社会の外にあると思っている。だからこそ完全に社会と化したインスタに本質は無いと思う。そうやって見切ったからすぐにアカウントを削除したということだ。

本当はまだまだ思うことや理由は沢山あるけど長くなるしこの辺にしておいて、、

だからこそ、なんでやらないの?と聞かれた時に、実際にこれら全ての概要を説明してから、その理由も順をおって説明するのはかなり大変ということ。 それにこういうことって”普通”の人からしたら変な人に思えるだろうから。ぼくからしたらその”普通”はもともと”普通”じゃないと言えるけど。と、いうことも言えないし言うのも色々面倒だし。

いつも思うけど、そもそも掘り探っていない人に、掘り探った視点から話しても視点が違うからやっぱり伝わらない。日々孤独感を感じるのはそういうところで、また先日の日記に話が戻るけど、社会の中だけの視点の人に、社会の外の視点を話すと、やれ宗教だ、やれ偏っている。とか、たったそれだけで片付けられる。イコール変人というレッテルが貼られる。いやいや違って、そうやって何かにカテゴライズしようとしてる価値観こそが社会の中の考えだなと思う。それが実に危険なことかを分かってない。

簡単に言えばそういうぼくにとっての様々なフラストレーションを消し去るために辞めた。そして間違った情報を拾うことで自分がブレるのも嫌だから。こういう時だからこそ、普遍的に変わらないもの=本質をしっかりさせていかないと、本物にはなれないと思うのだ。社会とはちゃんと距離をとって俯瞰して見ていないと足元をすくわれる。

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