とある奴が、東京という街に完全に染まってしまっている事実は受け入れるとして、でも、それはそいつが悪いわけじゃ無いってことに気づいた。
表参道、青山、銀座、六本木、恵比寿、渋谷とかとか。。。全ての街には、それぞれの街っぽさって確実にあって、それぞれの街っぽい雰囲気を持っている。ここが落とし穴だったんだな。
その街に行けば、みんなその街の顔をしている。その街の顔をしていれば、その街から省かれることは無い。
均一に言えるのは、東京というくくりで見たとき、みんな何かに”動かされている”感じがあるということだ。それはある種ロボットのようで、ある種奴隷のような。
これが東京という”社会の流れ”なんだと実感する。東京っぽいっていう言葉は、スマートでどこかおしゃれな雰囲気を漂わせているけど、本質的にいうならば、”最先端の社会”にしっかりと染まった人たちをさす。
今回の出張では、今ここにいったらぼくは終わりだなーって、直感的に感じたことが何よりも収穫だった。おしゃれだったり洗練されてたり、そういうのって多くあるけど、でも、ただそれが”良い”かどうかと聞かれたら、そうじゃ無いものがあまりにも多い。だから長くいればいるほど、それが当たり前になってきて、違ってることにすら気づかなくなってくる。
とある奴ってのもその中の一人だ。
審美眼があり、良いものや悪いものを見極める力と、自分の生き様を投影した作品を作ってるんだなってずっと思ってたけど、どうやらもう、そうじゃないらしい。それもこれも、全ては東京という社会のせいだ。そいつが自らの意思でそうなったわけじゃなく、街からある種の洗脳を受けたということだ。
そういうことにも気づかなくなっちゃうんだから、東京の街ってやつは本当に怖いと思う。
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