「学ぶ」と「探求する」ってことは、常に1セットになってるように思う。
学ぶとは、基本的に教えてもらって覚えることで、探求するとは、あるものを得ようと探し出して手に入れようとすること。
探究心があるから学ぶことができて、学ぶからこそ更に更にと、探求することができる。この二つのうち、どちらか一つでもかけてしまってはいけない。いけないとは、意味のないということだ。
そもそもなぜ、なにかを学ぶ必要があるのか?学生であれば学校に入るため。試験に受かるため。とかがあるが、それだけのためだろうか?
どこどこの学校に入って、なになにを学びたい。なになにの試験に合格して夢だったあの仕事をしたい。学ぶ先には、根本的に興味があったものへの探究心が必ずセットだと思う。
そうじゃない場合は基本的には「学び」だと思えないとぼくは思うのだ。
シンプルに、気になるし興味があるから知りたい。だから教えてもらう。そしてもっと知りたいという思うようになり更に探求する。このシンプルな流れに逆らわず進むことができたら、ものすごく清く素晴らしいと思うよな。
学び始める事に、いつでも遅い事なんかない。30代でも40、50、60、70、80になっても、ずっと探究心を持ち、学んでいる大人になりたいよな。
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