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「361」アンビバレンス

ぼくが日記に書いてることって、結局は全て自分を正当化しているようなことばかりだし、いやいや言ってる本人が何にもできてないじゃん!って言われてもおかしくないと思ってるし、こうやってそのことを書いて逃げてるじゃんって言われても、そうかもしれない。

それもそのはず、結局、相反する感情を持っているのが人間であり、人間の性だと思うから。そう言ってしまえば、全てをひっくるめて”まぁ良しとしよう”って言う方向に持っていけるってことも知っている。

例えば、ぼくが人から恋愛の相談を受け、恋愛のことを熱く語り、すごく全うなことを言っていようが、言ってる本人はバツが2つもついていて、恋愛に対しての温度や価値観がきっと周りとは違っていて、口でいいことを言っていても、行動が伴っていない。つまり本人としても口で言っていることだけが全てだとは思っていない。

例えば、仕事の話でも、この仕事は結構お金になるなーと思っている反面、ぼくの生きたいとする人生に本質的な価値を全く持たらさないどうでもいい仕事だな。とも感kじていたりする。

要するに、物事に対して相反する感情があるのが人間で、全て一方だけに考えがあることなんて、大概はないと思っている。こんなこと書いてると、じゃあこの約一年日記を書いてきたことはなんだったの?となるけど、、、

毎日日記を書くことの本質は、目に入ってきたり耳に聞こえたり、頭の中に霧のように湧いて出る、いつもなら何もなく思い過ごして消えてなくなるようなたとえ小さなことでも、しっかりと掴み取り、そのことを自分の言葉や文章にすることで、自分という人間の内的造形が出来上がるところに意味があり、SNSのように毎日出る排泄物と同じように消化(消費)してしまう易いお遊びとは全く違うということであり、なんでもない日常の素晴らしさに気づけることだ。 それと同時に、ただ人間が生きることは子孫繁栄と死ぬことだ。ということが本質でもあるから、こんな日記を書いてても生きている上で本当はなんの意味も持たないということ。この二つがあると思う。

そういう無常の中で、ぼくら人間は生きていると思う。 最近立て続けに観た映画から、総体的に感じたことだ。

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