話している内容は一緒でも、その言葉の本質の部分というか、根本にある思想の差異が生じているなと感じることがある。失礼を恐れず言えば、それはつまり、自分自身が、相手の程度を見透かしているということだと思う。
反対に、ぼくが思う素晴らしい人やなんかと今のぼくが話したら、大抵のことは見透かされると思う。
例えばものづくりにおいてもそれは言えていると思っていて、ただ良いものを作ることはきっと誰でもというか、ある程度のことはできると思う。しかし一歩抜けてるなと思う一流の人(ぼくが思う素晴らしい人)は、その先に確実に行っている。
マランソンの先頭集団と、2列目3列目集団と大きく差があるように、決定的にそこには差が生じている気がする。それこそが「思想」なんじゃないかとぼくは思っている。
良いものを作るっているのは一体なぜか?本当に作る必要があるか? そもそもなぜあなたはものづくりをしているのか?
自分自身に向き合って徹底的に「なぜ」という問いかけをしているかどうかで、この大きな差は埋まってくると思う。
これは、ぼくがこの1〜2年の間に発見した一流との絶対的な「差」だ。 この一流になるために、いくら遅いと言われようがなんだろうが、じっくり時間をかけて、”本当の良い服”を作っている最中だ。
そしてやっと自分の武器的なものを見つけた。
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