「等身大」とか「身の丈」って言葉は昔から使われてきている言葉だけど、それがずっと変わらずに、普遍的に存在し、使われているということは納得できる。
プレゼンテーションを行って、気づいたことだけど、自分を大きく見せたり、良く見せたりすることほど、小さく見えるし、良く見えない。つまり、結局人と人が信じ合えることって、そういった嘘がないことなんだと。そう思った。
形式ばってはいないけど、企画書というの書いみて、それを後から見直すと、やっぱりその企画書の中でも、ぼくは自分を良く見せようだとか、どこかすごいんだ、ってことが言いたいんだろうなーって所がたくさん見えてくる。そう見えるところが実は一番見透かされる。
はっきり言っちゃえば企画書なんてものは必要なくて、つまりは「ぼくはこういう人間で、そのぼくはこれがやりたいんだ。本気で。」ただそれだけが分かれば、相手からしたら十分ということだった。
そもそもプレゼンテーションという言葉自体、西洋文化な気がする。
ぼくが思う西洋文化とは、例えば食卓では、光輝かしいシャンデリアが吊り下げられ、グラスやお皿などがその光の反射を煌々と乱反射させて、部屋全体に光が飛び交い、派手な装飾品で着飾った衣装で人々が食事をする。そんなギラギラしてるというイメージだ。
ぼくにはそうしたギラツキは合っていなくて、日本文化的な「わびさび」や、一歩引いてる美しさ、日の光を中心に陰影を用いた光の使い方とか、そんな出すぎない方が性に合ってるということもまた、昨日の商品説明の場で再認識させられた。
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