時間を十分にかけて話すことは、ぼくらが思ってる以上に大切だと思う。 それは、今の「効率的でスピーディ」な社会には、この考え方は「通用しない」ほうだと思われるが、そんなことは全くないことを、今日は証明した。
友達とお昼頃から会って話し、夜までたっぷり時間をかけてお互いのやってることを、お互いの意見を聞きながら、いろんな案を出したりと、とにかく話しながら少しずつ考えをまとめていった。
本気で楽しんで考えて、意見を出す、アイデア出す、これに従順になってやることで、見失ってたものを垣間見れたりする。それに改めて気づくことになったりする。忘れていた大切な言葉が出てきたり。言葉にできないことを言葉にしていったり。もしくは、ニュアンスを出していったり。ぼくは、やることが改めて見えてきた。
ここに「時間」の制限があったら、きっと面白いと思えるモノはなかなか出来にくいだろうと想像する。
今日の中で、ぼくがもっとも衝撃を受けたのは、友達が過去に描いたことがある漫画を見た時だ。それは、過去のぼくが見たことがあるモノだったけど、10年前くらいのモノだったせいか、あの時、この凄さがわからなかったけど、昨日のぼくの新鮮な目で見た中では、確実に今までの人生史上最大な笑いがそこにあった。確実に、中学時代に、大爆笑していた時とかのあの感覚が、昨日のあの瞬間にはあった。。
なぜ過去のあの時に、あの凄さに気づかなかったのかと、ただただ自分に対して疑問に思ったけど、ぼくもここ2年ほどで、本質的なモノづくりの”脳”になってきているから、やっとその面白さに真に気づいたのだろうと思う。
それもこれも、全ては「時間」がなかったから。考えたり話したるするためだけの「瞬間」があっただけだから生まれたんだろう。
これは素晴らしい時間だった。その友達が言う、モノづくりハウスを一緒に作るのは、いいアイデアだ。実現させたいな。
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