自分ってゆう者は、どんどん変化していくモノで、ずっと変わらないでいることなんて逆に難しいと思う。それは気持ちにしても、考え方にしても、体や生活にしても。特にぼくはずっと同じ場所でじっとしてられないから余計か。
かと言って変わらないでいたいと思うことが一つある。それはよくいう「子ども心を持ち続ける」ってやつ。これだけは、持ち続けることを変えてはならないと思うのだ。捨てちゃいけないと言うこと。
その子供心って、じゃあ一体何かって言うと、ぼくは「好奇心や探究心、興味」だと思っている。大人になると、その好奇心や探究心が必然的に減っていく。それは、多くのモノを見たり感じたりしてしまったから、何かを見ても、もう新鮮ではないということだ。
幼い頃は目の前を走る車や電車、空を飛ぶ飛行機を指差して「あっ」なんて言って、毎回毎回新鮮だったけど、やがてそれに乗るようになって、それがもう当たり前になって、目の前で見たところでなんの驚きもなくなった。
そうやってすべてのことが「当たり前」になっていくことって、子供心を失ってる証拠だから、ものすごい恐怖だと思ったのだ。かといって、じゃあ車や飛行機を見て驚け!!と言われてももう驚けない。だいたいの形や見た目なんて、もう脳にインプットされてしまってるから無理だと思う。それって、新しいモノコトを見たとしても、今までの経験や知識を手繰り寄せ、頭の中で処理できてしまうコトに対しては興味が湧かなかったりもするからだろう。
だったら、自分が見たことないモノや感じたことないコトを経験しに行くしかない。そうでないと、子ども心はどんどん亡くなっていき、喜怒哀楽も少なくなり、どこか寂しい人間になってしまいそうだ。
自分にとって新しいモノコトを取り入れるコト(インプット)の重要性を、最近の日記で何回か書いて見たけど、最終的にぼくが辿り着いたであろう答えは、「子ども=ものづくりの本質」である気がする。インプットするコトのすべては、この根っこの部分につながってくるんだろう。
先日友人と「バーバラと心の巨人」を観てきた。その友人と、子どもの頃にだけ見るコトができた「現象」「空想」「想像」ってあるよなって。ずっと喋ってた。一番感受性が強く、一番何も知らなかったあの頃って、ものすごい貴重な時間だったんだな。今、全く同じようには難しいかもしれないけど、新しいモノコトを取り入れていく行為はまだまだ沢山できる。人生って、きっとそれを怠っちゃいけないんだな。
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