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「205」実質と物質

今の時代にあるモノって「物質的なモノ」から「実質的なモノ」へとどんどん転換して、やがてその二つの中間はなくなって、しっかりと二極化されたという印象が強い。

言うまでもないかもしれないけど、実質的なモノといえば、例えば広告チラシは紙ではなくコンテンツのページに表示されるようになってて、紙が不要になった。音楽もCDじゃなくデータで所持し、お金だってデジタルへ変わってきている。他にもたくさんある。

いっぽうその反面、書籍はキンドルとかではなくリアルな本を買ったり、音楽も古いレコードを集めたりと、物質的な価値を求める人もいる。服だってお店へ見に行かないと買わない人とか。そういうのもあるし、例えばメールじゃなくて直筆の手紙の方が気持ちが伝わるだとか、物質の価値観が上がってることもある。

こうやって「実質的な価値」と「物質的な価値」という新しい価値観が生まれてきた。たまに「本はリアルじゃなきゃダメ」とか言う人もいるけれど、もうそれは”絶対”のことじゃないと思う。多分どちらの価値もちゃんと受け入れて、その上で選んでいくという、「選択の時代」になってきているとぼくは感じる。それは買う側としても作る側としても同時に、選択をしなきゃいけないことなんだろう。

じゃあどうやって選択をするんだろうか。例えばぼくがやっていかなきゃならないのは、服を作ることに関してはまだまだ物質的であるから、綿や麻とかの天然繊維を使う理由だとか、ナイロンやポリエステルの化学繊維を使う理由だとか。体に直接触れるモノということの意味をしっかりと理解していく必要がある。 そしてその服を発信して行く時は写真や映像、音楽だって必要だし、今度はそうしたデータとかの実質的なプロモーションや広告を使っていく必要がある。すでにどこもやってるけど。

結局はどちらが良いとか悪いとか、そういうことはもうなくて、適材適所でやっていくことが重要なんだろうな。

本当はこの物質と実質について別のことを書こうと思っていたけど、なぜか思考がそれてしまって、違うことを書いてしまった。思い出したらまた書こう。

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