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「204」花鳥風月を考えたい

最近は、花鳥風月について考えさせられることが多い。これは完全に養老孟司氏の話の影響だけど。なんで考えさせられるんだろうか。

ぼく自身、田舎には住んでるけど、山や草花、土とかそういった自然に対して深く考えているわけでも、何かで関わっているわけではない。普通に衣食住を行い、生活しているだけで、なんの変わりもないごくごく普通の生活者だ。

だけど、モノを作ったり企画したり、他にも何かを発信したりすることにおいて、花鳥風月というものは切ってもきれないモノなんだと、深く思うようになっている。というか「もっとそれについて考えたい」という心境なんだけど。

自然であるということって、何も山川海や生物だけでなく、ぼくら人も自然界の一部である。そうすると、どうしても生きることに対しての根本的な考えや思想の源は、自然から多くを学ぶことができるはずだ。なぜ風は吹き、川は流れ、花が咲き、生物が生きて、太陽は存在してるのか?とかそういったことを考えざるをえない。

しかし面白いことに、すべての花鳥風月に理由なんてない。ただ共存していて生命活動をしてるだけだということ。そしてぼくら人間は頭を使い、その自然からいろんなモノを得ている。衣食住がその主だと思うけど。しかし、その自然のモノを使い得たもので、害のある使い方をしてしまっていたり、あるまじきモノへと変貌させてしまったりもしている。

服を作ることも根本を辿っていけば、そもそも始まりは土から咲く棉花で、シルクだって蚕のマユを使って、それを人間の衣にしている。他にも木のボタンであったり貝ボタンとか、樹脂を使ってシリコンを作ったりもしている。他にももっと自然を使ってモノにしている。

ということは、ぼくが生活している上で、そして服を作る以上、花鳥風月については「考えなきゃいけない」「もっと考えたい」と、どうしても思うのだ。

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