とあるラジオで面白い話を聞いた。
ここ何年か世の中では「自分探し」という言葉がキーワードになっていて、それに対してぼくらはいつしか執着するようにすらなっている。”自分自信が一体何者であるかを見つけられなきゃ終わりだ”と言わんばかりに、探している。
しかしラジオの中で話してたのは「自分を探すなんてムダだ」ということだった。なんでも、そもそも自分なんてものの存在は、自分が決めるのではなく、周りがどんな人かを決めるということが最もらしいのだ。
それは世の中と自分をカーナビを用いて考えてみるらしい。カーナビの中心の「矢印↑マーク(もしくは車マーク)」が自分であり、地図は世の中だということ。矢印自体はただ自分の現在地を示しているだけで他に何もない。地図(世の中)があって初めて矢印(自分)が成立するということ。
要するにこの例えで言っているのは、人とは、社会との関わりを持ち、人やモノとの関わりを持ち、いろんな関係性を持って初めて人間(自分)として成り立っている。それを考えると、社会で自分は一体どういったことを求められ、何ができて、それにどう答えられるか。”何か”困ってる人や”それ”が出来ない人の役に立つことが仕事であり対価をもらうということ。
歯が痛い人がいる(困ってる人)。自分で治療(それ)なんて出来ないから当然歯医者さんへ行く。治療してもらう(役に立つ)。対価を支払う。というように。
そうしていくうちにやがて、社会(周り)が自分という人間をどんな人間か決めていく。そうすることで自分の立ち位置や人間性など、いろんなものが決まっていくということらしいのだ。
「あの人は歯医者だ」と。「親切な歯医者」か「腕のいい歯医者」もしくは「無愛想だけど腕のいい歯医者」かは、人(社会)が決めること。
確かに、自分から見た社会ではなく、社会から見た自分。これが人間として正しいのかもしれない。人と人との間で初めて人間として成立する。これは友達が言ってた素晴らしい言葉だけど、同じことを言っている気がする。
良識、博識ある人の話はまるで本を読んでるかのように勉強になる。もう一つ面白い話をしてたから、また後日まとめておこう。
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