ぼくには「重症筋無力症」という持病がある。簡単に言うと、手、足、指を動かしたりするとすぐに疲れて、力が入らなくなる病気だ。
発症したのは、確か2010年位で、診断されたのは2012年だったから、約8年位の付き合いになる。今までやってたサッカーやフットサルは当然、簡単にはできないし、病気だと分かる前は、友達や家族にも、みんなに散々笑われた。普通に歩くことや階段の登り降り、荷物を持ったりすることに、お風呂でシャンプーする時に至ってまで、力が全く入らなくて、怠け者のような扱いだったのを覚えている。
あまりにも症状がおかしかったから病院に行って、そこで初めて「重症筋無力症」という診断を受けた。実はその時は一瞬は怖かったけど、どこか安堵の気持ちだったのを今でも覚えている。
それから「胸腺摘出手術」という手術を受け、ある程度は回復?したものの、今でもまだ症状は出るから、大変に思うことはある。でも一生付き合っていく病気だと、もう十分理解している。かと言って、スポーツはできれば何かしらやっていたいし、普通に五体満足に体を動かしたいのは当然ある。ぼくの場合は、症状としてはまだ軽い方だけど、重度の人なんかは歩けなかったり、瞼の力も入らず目も開かない人もいるらしい。だから毎日薬を飲んで、その症状を和らげて生活している。それがもうぼくは当たり前だし、薬がない生活は考えただけでちょっとゾクっとする。
とある記事で、こうした「弱さ」って「強さ」だよね。と対談しているのを見たのが、今回病気について書いたキッカケだ。
確かにその通りで、体は「弱い」けど精神はグッと「強く」なったと思う。なぜかというと、体が弱いことは、頭のどこかでその恐怖や死について考える回数が多いからだろう。ぼくの場合は症状がひどくなって、動けなくなった時、今現在独り身のぼくはどうすることも出来ないだろうという恐怖感は少なからずある。
その恐怖って、実際に病気になったからこそリアルに考えれた訳で。さらにそのリアルが、より死を現実的なものにしていった。そうした時、体と心と精神のバランスを自分自身で取っていくしかなく、そうした厳しいトレーニングを無理やりさせられた。病気意外にもいろんな理由で考える場合があると思うが。
手術後、こうして何年か時期が経ってからの今は、あまりそういうことを考えなかったけれど、ちょっと改めて、死を身近に感じて、考えた方が良いなと思い病気に対しての今の心境を書いてみた。
最近は、どこかこの体の不都合に慣れてしまっていた自分がいたから、もう一度不都合を考えてみよう。
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