ぼくは基本的に、結果論的な考えは好きではない。こうしたから結果的に良くなった。とか、後からだったらなんでも言えてしまうからだ。特に最近では、ビジネスが多様化して、いろんな場面で結果論を用いられる。
結果論とは「物事の結果だけを見た論議」のことを言うから、もちろん効率や要領よくやるときには使えるだろう。今まで積み上げてきた過去の統計やデータから算出して、より”失敗や間違え”が確率的に少ないようにゴールへ向かうことが出来るから、時としてはかなり役立つと思う。基本的にビジネス用語だとぼくは思っている。
今ぼくは、モノを作っている過程にいるけど、”やってみて初めてわかる”ことが沢山ある。モノづくりを、統計やデータから算出して作っていないから、無駄な横道にそれたり、はたまた思ってたモノと違うものが出来始めていたりと、いろんなことが起きる。しかしそれは、結果論でやっていたら思いつかなかった部分を沢山垣間見ているということだ。
反対に結果論的なモノづくりだと、もっとこの”無駄”が削ぎ落とされ、時間も短縮でき、よりスピーディにモノが完成するだろう。でもそれって、本質的なモノづくりだと言えるだろうか?モノづくりの本質を「大量生産、大量消費、いわゆるビジネス」と位置付けるなら、それで良いだろうけど、モノを作ることって、そもそも人間の生活において必要な、もしくは社会において必要な、さらには地球にとって必要とされるモノを生み出すことなんじゃないだろうか?
「人間が生きていく上で」というモノづくりが、ぼくはモノづくりの本質じゃないかなと思っている。アートや映画や音楽などの娯楽や、その他様々な趣味や嗜好品など、大きくまとめるたそれらのモノって、生きていく上で必要なモノだと思う。
そういったモノを作るときに、さて、結果論的なモノづくりって、そこに寄り添っているんだろうか?友達とよく話すけど、モノづくりってジャズみたいなもんで、日々の中で、見えてきたことや感じたこと、ハプニング、アクシデントや新しいアイデアを加えたりと、即興で作っていくことなんじゃないだろうか。結果ではなく、今を見つめてるのが、モノづくりなんじゃないかな。
だからぼくは、”今ここに生きる”という禅的な思想が好きなんだろう。
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