「こう思われたい」「こう見られたい」そうやって思っているウチって、結局人からそう見られることはないだろうし、それって作られた自分であって、本当ではないだよな。
そういう風に思ってたりする時の人って、やっぱりダサいのだ。ぼくもやっぱりまだまだどこかそれがあるから、自分でもダサいと思ったりする。また、そうやって思ってる時って、結局何をやってもうまくいかない。恋愛にしても仕事にしても、結局は”〇〇風”なわけだから、それって本物ではないと思う。これはぼく自身が実体験として得たことだ。
じゃあ本当の自分って何?って聞かれるだろうけど、そんなのそもそも考える必要もないことだと、最近つくづく思う。自分探しなんてする必要もない。
じゃあそれってどういうことかって言うと、何も考えないで行ってることこそが、本来の自分ということだ。意識的にすることではなく、無意識的に生まれることが、結局は本来の自分だと思う。
そうやって無意識的にいれる人間は、一番強いと感じる。 例えばぼくの場合だと、無意識でいると、天然だと言われる。今まで何度も何度も言われてきた。昔はそう言われるのが嫌で気にしていた時もあったが、今はそれほど気にしていない。むしろ天然の時の自分最強説が、今ではぼくの中にはある。
しかし、そこでいろいろ意識して気をつけすぎたりすると、面白みがない。いわゆるただの良い人だ。良い人。って言われる時は決まって、うまく行っていない時だ。それって、こう思われたいとかこう見られたいって思ってる時に限って言われる言葉だ。
どう見られたって、どう思われたって、別になんだっていいし、そんなこと考える必要は全くないと思うのだ。30代はもっと、本物になりたいな。
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