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「112」死

オウム事件死刑囚死刑執行が、大きなニュースとなっている。被害者やその家族、はたまた死刑囚のその家族、いろんな立場からの意見を連日多方面で見た。いずれも、その全ての当人でないと、気持ちを100%理解できないのは確かであるが、そうじゃないぼくらは、それを”考える”ということが必要なんだろう。

ただ、そうは言っても、この事件の話は恐ろしすぎることで、さすがに当事者の気持ちになって考えることは出来なかった。怒りや憎しみだけでは表現しきれないものだろうし、あるいはずっと信じられないでいるかもしれない。やはりぼくなんかが考えても分からない。確か事件はぼくが小学校時代のことで、あんなにも恐怖に思ったことは、今でもほとんどない位。麻原死刑囚が捕まった瞬間のあの驚きや恐怖は、未だに鮮明に覚えている。あれからこんなに年月が経ったのに、未だに首謀者の根本的な動機が解決していないなんて。それをどう捉えたらいいんだろう。

もちろん、死というのは全ての生き物に訪れるんだけど、その死があまりに無残だったり唐突だったりすると、その周りの人はなす術もない。実際、ぼくの母親もそんな感じで、あまりにも突然の死を迎えた。家族は何にも出来ることがなかった。ただ頭が真っ白になり、何にもわからなくなった。こんなことがあるんだと日々嘆いたり、母親を思い出したり、結局の所そんなことしかできなかった。

そこから学んだことは、自分の死もいつ訪れるか分からないから、死をもっと意識することでより充実して生きていけるんだろう。ということだった。実際にはたった一度しか経験しないことだから、明確にわからないけれど、意識するかしないかでは、生き方が大きく異なると思うのだ。生きる事は死ぬ事である。じゃあなぜ生きる。そんな問いかけに、一体どうするか。それが人生最大の大喜利なんだろう。 改めて今、その事を考えていくことがぼくがやる事なんだろうと感じる。

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